ボツにされた記事の方が面白い

ボツになった記事などを掲載してゐます。よその媒体の取材中に、ゆくりなく逢着する情報は、媒体にとっては無価値だからこそ、この紙幅で至福の記事になる…かもです。

勤皇派が概観する対イラン開戦

 ログインせずにYouTubeを開くと、今どの方向に世論が誘導されむとしてゐるのか、それがよく分かります。

 対イラン開戦を控へた先月は、以前シリアの内戦の取材をしてゐた山本美香さんが政府軍に殺害された事件の、その真相を取材した日テレNEWSの番組を、YouTubeは視聴者にブラウジングさせてゐました。同胞が殺害されたのだから、日本の視聴者はこの番組に関心を示すだらう。たゞし──それは飽くまでキャッチであって──その番組の意図は曰く「中東では多くの国民が独裁政権に苦しめられてゐる」その「実態」を私たち大衆に周知せむとするものでした。また開戦後には、この文脈で「多くのイラン人がトランプ大統領に感謝してゐる」ことを、大手メディアがアンカーの枠で報道してゐます。*1

 先年の「アラブの春」や「オレンジ革命」及びこれに続くウクライナ戦争なども、同じ戯曲に仕上がってゐた。

 この工作に、かつてフランスの政治家のアレクシ・ド・トクヴィルといふひとが応へて曰く、

実際にツァーリの広大な権力が、力を支えにしてのみ成り立っていると考えるならば、それは大きな間違いである。それはとくにロシア人の意志と熱烈な共感のうえに成り立っている。人民主権の原理は、その政府がどのように名づけられていようと、すべての政府の基底に存在しているものであり、より自由でない諸制度の下に、ひそやかに息づいているものなのだ。

トクヴィル著『フランス二月革命の日々』喜安 朗 訳|岩波文庫

 

 ルイ・ナポレオンの内閣で外相だった折しも、さやうに彼はロシアのことを理解してゐた。それたけこの「反体制」劇は永年に亘って演じられてゐるのでした。*2

 異端は異教よりも憎しなどと申しまして、どこの国にも内情に相剋がある。わが国のやうな、その例外があれば、民間人の居住区を空襲して降伏させる。そして誰かがそこに相剋の種を植ゑてゆく。さだめし、そこに親米政権ができあがる*3 。その親米政権とは何か。

 トランプ大統領は「私は "the deep state" に従はない。すなはち戦争をしない大統領になる」などと有権者に約束して大統領に選出されたのでした。するとエプスタイン文書なるものが公開されて、ビル・クリントン元大統領が買春してゐたことが画像付で公表されるに至った。本人は公聴会で本件は事実にあらずと申してゐますので、捏造かもしれませんが、その画像に彼と一緒に写ってゐたのは少女だった。トランプ大統領もまたエプスタイン氏と交際してゐた。体制に反抗すれば大統領といへども、現在の地位ばかりか、かうして社会的生命をも失ふ。でもクリントン氏は体制に従順だった。あるいは彼はトランプ大統領を脅迫するための道具にされたのか。

 かうしてトランプ大統領は支持者を裏切って、体制の傀儡になった。彼が "the deep state" と指呼した体制は、シオニズムの理想を阻む者を許さない。それが今般のイランでした。

 昨日3月2日の衆議院予算委員会で、伝統的に日米離反を図る日本共産党の代議士が、去る28日に開戦した米・イスラエルによる対イラン戦争について政府にかう質問しました、

「このイランへの攻撃は、明白な国連憲章、国際法違反ではありませんか。アメリカとイスラエルに直ちに、無効な先制攻撃をやめるよう求めるべきではありませんか」

 これに対して茂木外務大臣は、

「イランによる核兵器開発、これは許されないというのが、わが国の一貫した立場であります」

 等と、さだめし不本意ながら、米・イスラエルの軍事行動を擁護することしかできない。*4

 わが国は例によって中国共産党政府との相剋で、きはめて劣勢な立場であるから、曰く「同盟国」の対外戦争に文句を言へる場合では全然ないのでした。現に北京とワシントンDCの政府の関係は目下なかなか良好ではないか。世界はさやうにできてゐる。この挟撃の絵図を破らむとして、安倍さんのやうにプーチン大統領と交際すれば、きっと暗殺される。あれが犯人を指嗾した暗殺でなかったとしても、死んでもらはなければ、世界は多極化し、米国一強の時代は終はってしまふ。

 待望の大統領に失望した米国のトランプ支持者らは、どうするだらうか。いつも米国で銃規制が頓挫するのは「いづれワシントンDCの傀儡政府を打倒せむ」とする南部の国民が、決して銃を手放さないからでした。今その銃を手に取らねばならない程、米国民は生活苦に追ひ詰められてゐます。

R8.3.3  ミソラ通信

*1
開戦前の報道=https://www.youtube.com/watch?v=jAGhwkh40rw
開戦後の報道(time code 10:10)=https://www.youtube.com/watch?v=DssPx1LeWq0

*2 初めはソ連邦政府もまたユダヤ系の新米政権として立国したのでした。

*3 小欄がポスト致しましたこの動画に、その仔細がございます。

*4 これには後日談がございます。米国時間3月19日(日本時間20日未明)にホワイトハウスで開催された日米首脳会談の後日、同25日に、参議院予算委員会で「総理訪米に関する集中審議」がありました。この際にも山添拓(日本共産党)委員が政府に「総理はトランプ大統領に、米国とイスラエルによるイランへの攻撃は一言も批判なさってゐません。フランスのルモンド紙に胡麻刷りと報じられたのも仕方ない」「私はあまりに卑屈な従属ぶりだと思ひます」等と質問した。
山添委員「アメリカとイスラエルの両国に対して、攻撃をやめ、戦争を止めるやうに求めるべきではありませんか。」
高市総理「私は会談の冒頭で、平和と繁栄をもたらすのはドナルドだけだと申し上げました。それは平和を構築できるのもトランプ大統領の考へ方でもあるし、そしてまた今、非常にホルムズ海峡を含めてですね、困難な状況にあるなかで、世界経済は厳しい状況にある。またこれを改善していけるのもトランプ大統領だといふことを申し上げました。そこに含み置いた意味をよくお考へ頂けたらと思ひます。」
山添委員「含みではなく、はっきり物を言ふべきだと思ひますよ。攻撃をやめよと、アメリカに対してもイスラエルに対しても総理、あらためて求めるべきではありませんか。」
茂木外務大臣「外交交渉に於きましては、相手が納得する言ひ方、これはあるんだと思ひます。たゞ言へばいゝといふことではなくて、どういった形で相手を能動的に動かしてゆくか、かういった形での交渉、これは極めて重要だと思ってをります。」

これは茂木さんが不世出の外務大臣であることを示す答弁でした。

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神話を失った民族は本当に滅びるのか

 しばしば「言った、言はない」で、私たちは諍ふ。

 たとへば、ある高名な歴史学者が「十二、十三才くらいまでに民族の神話を学ばなかった民族は、例外なく滅んでいる」と、言ったとか言はなかったとか。

 もし彼、すなはちのアーノルド・トインビーが、さやうなことをどこにも書かなかったとしても、それが真実を述べてゐるので、さだめしかゝる論争になるのでせう。

 枝葉のことばかり論ってもせんのないこと。では、

 どうして神話を学ばなかった民族は滅びるのか?

 その幹のご詮議をなされば、これは澄むことでございます。まづ、

「同じ経験を共有してゐる者とは意思疎通が機微に亘って容易にできる」

 といふ事実があります。その共有ができてゐないから、今日の私たちは他人とはてんで意思疎通ができないのでせう。いゝえ、身内とさへ覚束ないひとだってざらにある。家庭内でさへその調子なのですから、かつて吾人の基調であった仔細に及ばざる、阿吽の呼吸なぞ、今や望むべくもない。それではオヤから授かった高度な知的社会が維持できるわけがなかった。しかし神話の喪失はそれだけでは済まなかった。

 実は古事記は明治維新のみならず、わが国の歴史上の岐路でひろく参照され、その度に私たちのオヤたちに救国への道を示してきたのでした。自信はその時々の気分に因るものだから、実はあまり賴りにならない。しかし自覚はいつもひとをしっかりと支へ、ぐいぐいと正しい道へと牽引してくれます。この自覚を日本人に常にもたらしてきたのが古事記でした。神代に生きたみんなのオヤたちが、私たちのために言ひ伝へたことを自分で読んだり、聴いたりできたなら、あるいは世界が違って見えるかもしれません。それなのに、いま私たちが日本の神話の原典、すなはち古事記に接する機会は、実はない。

 これまで出版された古事記の書籍は両極端でございました。一方は「現代語訳」と称して独自の解釈で創作したものですが、これは肝心な「原文の力」を読者が感受できない。いったい古事記は漢籍のやうに理屈を説いたものではなくて、その正語マサコトを声に出して読む語感の楽しさから、イニシヘの心が伝はります。もう一方は「原文の体裁を帯びて」書肆に並んでゐるものでした。岩波文庫から出てゐる『古事記』などがその例ですが、これはその表紙の写真に反して、まるで縄文時代がなかったかのやうな、要するに「古事記もまた中華文明の影響下で成った」といふ立場で訳注され、本文もまた独自の解釈で植字されてゐる。ひろく流通してゐるものについては、そのいづれかでした。そこで小欄は、誰でもアクセスできるウェブ上に、かうして古事記を──稗田阿礼が詠んだまゝを再現した古事記を──公開しておくことにいたしました ↓

 原典を「再生」したゆゑ、その本文が現代の私たちにとって些かもの遠い感があるときでも、それが私たちの母語であり、しかも無駄のない、この上なく優れたフミですから「くり返して聴けば必ずわかる」といふ確信を以てこれを制作いたしました。底本は寛政二年に発行された『神代正語』でございます。

 我々出版人の志の低さから、この『神代正語』は絶版となって久しうございます。ひと目に触れなくなって殊に惜しいのは、まづその序文の「神代正語のゆゑよし」でせうか。どうもよいものにかぎって世の中から失はれてしまふやうです。だから下記にそれを活字に起こしておきます(ウェブ上で表記できないヲドリ字は適宜改めました)。

 いったい米国の歴史家の見解を以て、わが神話を評価せむとする評価基準が、かうして現にあるといふこと、まさに私たちのこの権威の所在が洋学にあるといふその現実こそが、この救ひ難い国難の実態を示してゐるやうです。

R8.2.25  ミソラ通信

神代正語のゆゑよし

上つ代の事は.上つ代のコトバもてかたりツタへしを.それシルせるフミは.みな漢字カラモジもてシルせるが中に.ソノからぶみことばにかゝはらざるは.シルせる事もツタヘゴトのまゝなるを.からぶり詞にかはれるは.しるせる事もソノコヽロも.おのづからみなカラめきてぞキヽなさるゝを.其フミどもならひよむにも.その漢籍カラブミぶりのまゝによみならふから.よむ人のサトる心も.おのづからみなこちたきカラぶりにのみなりて.うるはしきナホき正しきスメラクニ意詞コヽロコトバをば.みなウシナひはてゝきかし.おのれはやくより.神代のフミヨムごとに.此事のいとうれたきにつきて.思ひわたらくは.書紀は.からぶみコトバのかざりをクハへられたるところし多かれば.今ことごとにイニシヘコトバには訓直ヨミナホしがたきを.古事記は.イニシヘコトバをむねとせるフミなれば.いとうるはしきふみなるを.それすらそのかみのつねとして.大かたのもじつゞけは.なほ漢文カラブミざまにしあれば.おのづからそのもじつゞきにひかれて.なほクニコトバのふりならぬも.ところどころまじらずしもあらねど.それはたことさらにかざりそへたるにはあらざれば.かたはらにカタ假字カナといふ物つけて.此古事記は.みなイニシヘコトバヨミかへしはしつべし.然はあれども.かたはらにツケたる假字カナは.かたはらなれば.なほむねとカキたるカラ文字モジに目うつりて.イニシヘコトバのかたには.もはらと心のしみがたきをば.なほいかさまにしてばよけむと.思ひめぐらして.此春のころ思ひよれるは.まづ此神世のマキばかりをだに.もはら假字カナつゞけにカキなしてば.からもじに目うつることなくて.うけばりたる ヘのみやびごとのフミならましを.とは思ひよれる物から.何くれとさしあたりてなすべきわざのしげかるには.此事とみにえ物すべくはた思へらざりしを.三月ヤヨヒの末つかた.尾 ノ国の名児 ノ里に物せしこと有て.横 ノ千秋主にアヒけるに.殊にこひもとめらるゝ事こそ有けれ.そもそも此人は.かの国には世々かろからぬツラ殿人トノビトにて.國のマツリゴトまをすべきすぢを.ことに深く心にしめて.つねは.から国の ヘの.かにかくにいつはりおほくてナホからず.殊に君をカロめて.つかヘの道にいたくそむけることをうれたみて.ひたぶるにさるをしへによる時は.おのづから ノ人のしわざいつはり多く.うはべをのみかざらひつゝ.したの心には上をカロめ.まめこゝろをしうしなひて.道の本國の本とあることわりのタヽざらむことを.いみしくかしこみナゲきて.いかでスメラオホクニの正しき道の心ばへもて. ツ心にナホくおこなひ.下が下までいつはりなく.まことのこゝろもて.まめやかに上につかへしめ. ノ君臣のオモきことわりをうまくさとして.ナガくめでたく国治めてしがと.朝よひに思ひねがはるゝ心なもいと深くして. ノすぢをつばらかにカキあらはされたるふみも.これかれとぞ有ける.年ごろ わがりコトかよはして.物とひあきらめ.すべてクニイニシヘマナビに.いともいそしき人になも有ける.カレその殊なるまめどころをおむかしみて.我も又同じ心に.ちからをそへつゝ リふるに.此度又 ノ殊にこひ求めらるゝ事は.古事記の上つマキを.イニシヘコトバ假字カナブミにかきたびてよ.はやくもシカせるたぐひはあれども.古言フルコト正しからず.つゞけざまうるはしからず.てにをはとゝのはずなどして.中々の物ぞこなひなめるを.今よくしたゝめとゝのヘてば.ウヒマナビなどのためにも.いとよきたづきならむかし.此事いかでとくと.いとねもころになもこひもとめらるなる.さるは本より古事記傳をイタにゑることも.もはら此人ぞ事おこして.物せらるなれば. ノ摺本スルマキイデぬとに.まづ此神代のかなぶみを世にほどこらし.ヨミならはせて.みやびたるいにしへことばを.口なれしめ耳なれしめて.世の人のきたなき心を.すゝぎ清めむのこゝろざしなりけり.おのれ此ねぎことを聞て.あやしみ思へらくは.此事よ.おのれ此ごろ心のうちにかつがつ思ひよれるにあはせて.此人はたかくしもねもころにいそぎ思はるゝは.神直カムナホ 大直オホナホの神の.ことなるコヽロにこそはと.いとたふとく.かつはかしこく思ひおこして.國に帰りては.あだし事どもをばうちおきて.すなはちまづ.よるひるといそぎなしたる此書になもある.かくてそのカキつゞれるさまは.古事記と書紀とを合せて.事のおもぶきいとしもコトならぬは.古事記によりて.いさゝかのたがひをば.二典別フタフミコトにはあげず シ事のコトなるをば.コトにあげて.又はかくもありとしるし.古事記にもれたる事は.書記を リて.イニシヘコトバにかへしてあげつ.又 ノ二典フタフミにはもれたる事の.ことイニシヘフミに見えたるをも.一つ二つあげつ.書紀のからぶりのかざり詞は.すべてとらず.なほこまかなるさまは.ひらき見てしるべきなり.大かた此書は.まづもはら ヘミヤビ言教ゴトヲシへむとのしわざなれば.口なれたる後の世のひがよみ.コトつゞきの便タヨリにくづれたる音などまじヘず.スミニゴリナニも.カケるまゝに.タヾしくうるはしくよみならふべき物ぞ.ゆめ一もじもみだりにはよむべからず.又もろもろの言の中には. ヘ今と もはらかはらぬも多かるを.後の世のと同じ言をば.のぞかむとすれば.しひごとになりて.なかなかに正しからねば.今はしひてふるめかさむとはかまへず.たゞ ルべきまゝに用ひつれば.なだらかに耳ぢかくして.たまたま今とかはらぬ詞もまじれるを.これ ヘのにあらじかと.ないぶかり思ひそ.又真假字マガナをおきて. ノ世の色葉イロハ假字ガナにしもかけるゆゑは.真假字マガナは.今は猶ものどほく.よみぐるしければ.うひマナビのともがらなどは.よむにコトバとゞこほりて.すがすがともえあらず.中々に口にもみゝにもならふたよりあしければぞ.

  寛政のはじめの年五月の晦

  伊勢人 本居宣長

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▼出典「神代正語のゆゑよし」

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2562850?tocOpened=1

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現代よりも遥かに先進だった古代のテクノロジー|日本神話のオーパーツ

 古事記には「古代にあるはずがない」キテレツな乗り物がいくつか登場します。そのなかでも特にキテレツなのは、やはりマナシカツマの小船でせうか。

 これはまさに現代の潜水艇に相当する乗り物ですが、古事記のなかで火遠理ほをりみことがこのマナシカツマに乗船なさって海底にあるワタツミの神の神宮におでましになります。

 このくだりを原案にしたと言はれてゐますのが、有名な浦島太郎の噺でございます。しかしウラシマさんは潜水艇ではなくて亀に乗って竜宮へ往く。この御伽おとぎばなしを話して聞かせると、きまって児童はワーッと笑ひます。

「溺れてしまふよ!」

 と、子供らは言ふのであった。

 もちろん人は亀に乗っては海底に行けない。さやうなこと作者もわかってゐたのであり、これは創作ですから、それは論ふことではございません。だからウラシマさんのやうに亀に乗って竜宮城へゆくのと、火遠理ノ命がマナシカツマの小船にて海底都市におでましになるのとでは、そこにとりわけ、創作の作為のあるなし、そのけぢめがはっきり顕はれてゐるのだらうと思ひます。つまり創作は平易で面白い発想を、古事記はひたすら事実を、それぞれ描写しようとするのでした。

 実は古事記は、どこまでも真実を示すために記されてゐることを、以前こちらのバックナンバーに詳しく書きました ↓

 ヤマタヲロチのみならず、口から毒ガスを吐くゴジラのやうな怪獣などが登場しますので、

「古事記は絵空事だ」

 と、思はれてゐるひとも少なからずをられるでせう。それは「現代とは書き方の様式が異なるからだらう」と、とりあへず解釈すべきことかもしれません。

 潜水艇は人が海底に潜らうとした結果できあがった乗り物ですから、潜水艇や潜水艦が製造される以前の人々にとって、マナシカツマの小舟は容易に空想できるものではありません。すると噺の聞き手も容易にこれを想像できないから、創作の道具立てとしては不向きです。ところが古事記はその誰も見たことも聞いたこともない乗り物を、くだくだしく描写することなく、たちまち読み手や聞き手にありありと想像させてしまひます。すなはちマナシカツマのマナシとは「外殻の目がつまってゐて水がなかに入らない」といふ意味らしく、カツマとは「水圧に負けない部屋」といふ意味なのだらうと、状況から暗に聴解させるのです(しかも初めて乗船する者でも、これを容易に思ひのまゝ操縦できた)。これは暗黙のうちに物の道理を介在させるはたらきを失った──すなはち、より拙劣なる──現在の国語では、決して真似のできない、審美のわざでございます。かゝる現代文では不可能な省略が、和歌のやうに自づと、聞き手や読み手を表現に参加させる。それが話の序破急に敷衍と恍惚とした緩急とを与へる。なれど終始この効果には作為がない。作為がなくて、記してあることが現実と矛盾しないことが後世になって判ったりする。この措辞もまたひとの仕業とは思へぬ、神々しい奇しき業でございます。

 かうして科学が神話に追ひついて神話を補完することも、わが国では起こり得ます。

R8.2.18  ミソラ通信

 

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お百姓の姓

紀元節おめでたうございます

 たくさんの昔話や民話を、わが国の児童は大人に読んでもらったり、自分でも読んだりします。これは、げに美風であった。

 それで「昔のお百姓さんには姓がなかった」と、小さい子たちは思ふ。すなはち「姓があったのは武士だけだった」と考へるのでした。

 あとで「あれはお百姓に姓がなかったのではなくて、姓を名乗ることを武士が許さなかったのだ」と知る者は、さだめし多くはないでせう。

 では、どうして武士は、お百姓が姓を名乗ることを許さなかったのか。

 そのわけを知るに至るひとは、もっと少ない。なぜなら、その解答を誰かに訊いたり、自分で調べたりしてみても、およそ正しい解答には逢着しないからでした。つまり、それたけ物事は、今日の価値観で整理され、理解されてゐると、これは換言することができる。

 このとき「今日の価値観」とは、およそ洋学の視点であり、この場合ですと「マルクス史観」などとこれは指呼されることがあります。かゝる歴史観によると、昔のお百姓は例外なく、賎民でなければなりません。だから私たちの先祖も、相当に酷薄な、因業な目に遭ってゐたことになってゐます。

 その正解は、わが国の物事の起源が記してある、古事フルコトに書いてあるのでしたが、これらを記した古人イニシヘビトは、もちろん私たちのこの問ひに回答するために古事を記したのではありませんでした。だから「ズバリ正解はこれです」といふやうな一文は、どこにも書いてない。でも古事を読んでゐるうちに、次第にイニシヘの心が分かってきて、やがてズバリ解るやうになる。換言すれば、中世の書物を閲しても、中世のことしか判らないけれど、古事を閲すれば、中世のことも現代のことも判る。

 古事記には神々の系譜と、その子孫スヱがすべて記してあります。だから「この神は何処其処のミヤツコオヤなり」と、そこに記してあるとき、私たちの始祖がミコトノリを承って鄙に下り、草深い国土を拓いたことが読者の瞼に浮かぶ。後に武士の世になって、将軍の遣ひで鄙に領地を拝領したその御家人衆が、イニシヘにその国を拓いた神々の子孫たちを、領民として治めることになります。さて、すると困ったことが出来る。

 彼が統治する領民の方が、彼よりも家格が上ではないか。

 彼は統治をする都合上、領民に納税してもらはねばならない。そこで家来が課税に赴くと、行く先々で名を名乗ることになる。すると、

「吾は高市太郎と申す」

 等と百姓が名乗るのでした。

 この高市の姓の由来は、古事記にかうあります、

アメ菩比ホヒミコトの子 建比良鳥タケヒラトリミコト.此は出雲國ノミヤツコ(中略).高市タケチ縣主アガタヌシ蒲生カマフ稻寸イナキ三枝部サキクサベミヤツコ等がオヤなり.

 それこそ何処の馬の骨とも知れぬ武士の家来が、百敷きに連なる御仁から、あべこべにミツギを徴れるものか。それに、オノレが格上であることを以て、武士に「生意気だ」と言って手向かふお百姓もあったさうです。

 それでは地頭も何も務まらず、行政にならない。

 それで一旦、お百姓には姓を伏せてもらふことにしたのでした。

 きっと始めはうんと少なかった日本の人口でしたが、さうして次第に増えていった。古来わが国では、私たち百姓(国民)が大御宝オホミタカラ(いちばん天皇スメラミコトが大切になさる対象のこと)とされる所以も、こゝにございます。

R8.2.11 ミソラ通信

 

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古事記を朗読します↓

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「国語が通じないわけ」と「皇族に対するマスコミの言葉づかひ」との深い関係

 いま頻々と「日本語の敬語は難しい」だとか「英語には敬語がない」だとか言ふひとがある。それは当然でございます。何となれば、いま小学校では国語を教へてゐないのだから。こなひだまで小欄は教育現場を取材してゐましたので、これは間違ひない。すなはち国語の授業はあるけれど全国津々浦々、わが国では誰も児童に国語を教へてゐないのです。だから、たとへば敬語の「お」の使ひ方が分からないと言ふひとがある。これは実際「それくらゐのことは分るよ」といふ人でも、大概わかってゐない。

 

お=your

 英語と比較するひとが吾人に増えたので──すこし複雑な気分になりますが──例を英語で挙げてみますと、まづ「ひとの家」を my home とは言はない。相手の家を国語では「お宅」と言ひます。同様に自分の名刺を「お名刺」とは言はない。すなはち「お車」とは your car でございます。要するに your を諂ひで言ふのではないやうに「お」もまた諂ひで言ふのではない。これがあるから、ものが忽ち通じるのでした。

 では「お醤油」だとか「お味噌」だとか言ふのはどうしてか。これは俗にいふザマス言葉の名残であり、誤用がいつしか慣用になったコトバでした。

 ザマス言葉といへば、たぶん今日の私たちは、漫画のドラえもんに登場する「スネ夫のママ」や、おそ松くんの「イヤミ」の言葉づかひを想起しますが、東京では昭和30年代まで、このザマス言葉を実際に話す婦人がしばしばあった。どうしてこのザマス言葉が出来したのか。大正の御代になりますと、ずいぶん帝都では旧士族の縁談が減ったさうで、それで山手では東北からお嫁さんをもらふ成行になりました。陸奥と東京では言葉が違ひますので、お嫁さんたちは内心「早く訛りを直したい」と焦燥する。だから東京のひとの言葉づかひを真似てみる。ふだんお嫁さんたちが接する東京のひとは、住み込みの家政婦さんたちでした。家政婦さんは奥様の髪を「おぐし」と言ったり、奥様の衣服を「お着物」と言ったりします。それで奥様たちは「東京では、ものに何でも『お』をつけて話す」と思ひ違ひをした。この口真似を聞いたこの時代の子供らが、それをからかって、更にその口真似をする。さうしてこの戯言ざれごとがひろく浸透して、誤用が定着したことが、往時のひとが書いたものを読みますと、よく判ります。

 それから「お雛さま」や「お言葉」の「お」は、畏き辺りのことだから、吾人は丁寧に言はむとして、自づと「お」をつけて言ひます。たゞしこの「お言葉」もまた「お言葉を返すやうですが」等と言ふ例で分かるやうに、実は「あなたの発言」といふ意味なのでした。だから天皇すめらみことから賜るみことのりは、やはりミコトノリないし御詔勅ごせうちよく、場合によっては大詔などと申し上げるのが、これは正しい。このとき何を以て「正しい」とするのか。それは次にお示しするやうに「誰の言動かを明示できるか否か」でございます。

 同じ「お」でも、これらの差別わきためが分かりますと、英語の your 同様むつかしくない。

 

英語には敬語がないのか

 正しい敬語を知ってゐれば無礼を生じないから、相手が誰であらうとも、自分の考へを遠慮なく言へるやうになる。たゞし、これは国語に限ったことでございます。だからといって言ひたいことを言ふ慇懃無礼にならないやうにしたい。

 英語のみならず多くのヨーロッパ語族では、誰に対してものを言ってゐるのか、その立場を表すことが、すなはち敬語でございます。たとへば総理大臣の下問に閣僚が回答する際、英語では

"I will submit it today, Prime Minister."

 などと、必ず回答のおしまひに、その上意下達をする相手の、権威を明示する。相手が職場の上司の場合も同様にその役職名で、教師などの場合は、必ずその姓に敬称をつけて回答する。

 これを国語では、

「本日中に提出いたします。」

 と、権威ではなく人称に応じた言葉づかひで表す。

 だから英語圏では、たとへば駅の構内で清掃員のおぢさんに出口を訊くときなどは、決して敬語を使はない。向かうでは上記のやうに、相手の社会的地位をおのれと比較して、ひとは言動を変へる。国語では知らない人にものを尋ねる際には、等しく敬語を用ふ。すると「国語の敬語もまた上下関係を表現するためにある」と思ってゐるひとが、もしあるならば、そのひとはそれこそ、相当に出自が悪い(要するに夷と同質である)ことが判る。

 次にお示しする、かゝる文法のはたらきが分かってをられない所為でせうか、これを「提出させて頂きます」等と言ってしまふひとがある。それゆゑ「日本語には have や has のやうな、人称に応じた動詞の格の使ひ分けがない」とか言ふひとも多くあります。

 もしそれが真実であれば、およそひとの言動が、文脈のなかで誰の言動なのかを、私たちは十全と表現できないでせう。このとき私たちの国語は、漫画に出てくる原始人の会話のやうな、ごく卑近なお喋りに用ひる他に使ひ道のない、きはめて拙い言語になる。しかし現に英語も私たちの国語もさうではない。

 国語では「言ふ」は一人称では「申す」、二人称では「仰る」等と、言葉づかひにけぢめがある。それ故いっぺん言へば誰にでも通じるやうになってゐる。たとへば「来る」であればそれぞれ「参る」「いらっしやる」「見える」などと言ひ表して「誰が来るのか」すなはち「己のことか、話し手のことか、こゝにゐない第三者のことか」を明示します。だから「いつ・どこで・だれが」を不足なく表現できる。

 するとカドも立たなくなる。英語のやうに語尾だけを変化させるのでなく、かゝる人称を表す作法を国語は選択した。だから外国語のやうに「私は」「あなたは」と、鼻白む主語を連呼する必要がない程、こゝに国語は誰の言動かをはっきり明示できます。たとへば、誰かの社用のメールアドレスに大事な連絡をしたが、返事がなかった。その際およそ外国語では、かう問ひ合はせる、

「私は昨日あなたにメールしましたが、あなたは非番でしたか?」

 かう訊かないと通じない。しかし国語では、

「昨日メールさし上げましたが、お休みでしたか?」

 と訊けば通じる。

 このとき国語では、この人称のけぢめを敢へて違へることで不敬を表現することができる。外国語には沢山ある bad language の類が国語に稀なのはそれ故でした。たとへば、

「仰ることは分かります」と言ふべきところを、

「言ってることは分かります」と言へば矩を越える。

 かういふ実例があります。これは頃日NHKラジオ第一放送の夕方6時のニュース番組のなかで、ふたりのキャスターが交はした実際の会話です、

「いま日本には皇族が何人いるかご存知ですか?」

「え、何人いるか知りません(笑)」

 かうして国語では相応せざる用言を敢へて使ふだけで、その対象を貶むことができる。さやうな扱ひを受けたとき、英語では、

"Don't talk down to me!" 見下した口をきくな!

 等と、薄弱でないひとであれば、そして相手が上司でなければ言ひ返すでせう。新聞やTVは「親しみやすい言葉づかいで」と言ふけれど、畏き辺りに相応しからざる言葉づかひをすることに悪意があるのは、こゝに於いて明白です。つまり彼らは「今の国民は国語を知らないから、誰も気が注かない」と思って、私たちを馬鹿にしてゐるのです。実際、私たちの多くはそれに気が注かない。

 

発音記号は言語中枢を刺激しない

 はじめに小学校で「誰も児童に国語を教へてゐない」と申しましたが、これは「教へたくても教へられない」のでした。いま私たちが話してゐる言語は「表音一致」といって、国語でない以前に、実は言語でさへない。これは発音記号であった。記号では本統の国語と繋がらないのですから、意味が分からなくなって当然です。これも例を挙げる必要があるでせうか。たとへば、

「ふたりは腕相撲でもするやうに、しっかり互ひの手を握り合った」

 などと書くとき、上の「やう」は「腕相撲するやに見えた」の音便だから「やう」と仮名遣ひするのでした。また、

「その子はあの子に腕相撲しようと誘った」

 と書くとき、上の「よう」は「腕相撲せよ」の音便だから「よう」と仮名遣ひします。

 すると両者の比較から「せよ」とは頭ごなしに命じるコトバでないことが分かります。しかし今日のやうに、どちらも「よう」とこれらを仮名遣ひさせると、両者が混淆して、いづれもはっきりとは意味をなさなくなる。

 同様に、麹はカムダチ、すなはちカビ立たせる(発酵させる)からカウヂと仮名遣ひします。すると、黴が必ずしも汚いものでないことが分かります。かうして国語はすべての学問を啓く。しかしこれをコウジと仮名遣ひすると、もはや何の意味もなさない。これは英語でも同様であり、たとへば knew を new だとか design を desine などとは綴らない。

 教員たちにしても生まれたときから「表音一致」なのですから、コトバの意味を教へたくても知らない。

 コトバの意味が実はわからないまゝ、平然と話したり聴いたり読み書きしたりすることは、私たちに短略的な思考を誘発します。現に短略的ゆゑに、啓蒙のつもりで「元来日本人には主体性がないから、日本語には主語がない」等と言ったり書いたりしてゐる識者は、今ごまんとゐます。そして短略的ゆゑに私たちは「このまゝ表音一致で問題ない」と発想するのでした。占領中の昭和21年に、この「現代仮名遣い」が上意下達された際には、朝野から多くの不賛成の声が上がりました。それが黙殺されて今に至ってゐます。

 さやうに言語を失へば不自由が生じる。それは当然でございます。現に文章では、だいたい原稿用紙の二行までは通じるけれど、それ以上になると、直に話さないと正しく通じない。さやうなことが、もし茶飯事だとしたら、私たちが言語を失った証拠です。

R8.2.4  ミソラ通信

 

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体罰と暴力の違ひ|時計がこれを峻別する

 児童が家庭で殺されるたびに、私たちは同じ言ひ逃れと議論をくり返す。

 でも児童に対する体罰と暴力には、はっきりとしたけぢめが実はあります。意外これは簡単に線引きできるので、ご関心のある皆さんは読んで行って下さい。

 顧みれば、本件は昭和58年に起きた「戸塚ヨットスクール事件」が、マスコミで大きく取り上げられて以来、概ね世論を二分してゐる。あのときは「事件なのか、事故なのか」といふ論争でした。なにしろ、この事件ないし事故を引き起こした戸塚宏校長は、実は今も世論に叩かれてゐます。それもきはめて激しい口撃が、未だに続いてゐるのでした。

 今ひろく視聴されてゐるYouTubeなどでは、どれだけの人が本件に関心を持ってゐるか、それが数字で示されます。たとへばあるユーチューバーが折に触れて──すなはち痛ましい虐待事件などに際して──この「戸塚ヨットスクール事件」に言及する。いつも彼は視聴者の前に医療現場の作務衣スクラブを着て現れる。すると「お医者さま」のご見解をありがたく拝聴した、文字どほりごまんとゐる視聴者が、彼の見解に賛成票を投じる。またその旨したゝたコメントをそこに残してゆく。このとき彼は「私は体罰に断固反対する」と訴へた。*

 当人の戸塚校長もまた、彼のYouTubeチャンネルで持論を述べると、これに反論してやらうと、同様に沢山の視聴者が思ひ思ひのコメントをそこに残してゆきます。

 それらをいちいち読んでみますと、どうやら戸塚さんは demonize されてゐるらしかった。

 

誰かを悪者にして澄ませる

 demonize とは、いはゆる悪魔と翻訳される demon に、接尾辞の ize したがふことで「悪魔化する」といふ意味になる英語でございます。換言すれば、それは「悪魔化」す可き対象を、あへて「吊し上げる」ことで、おのれがその対岸に立つことであった。すなはち demonize する者は、あくまで善悪の視点でこれを説き、己が善の側に立たむとする。

 これを漢字では誣と書き表すでせうか。誣の字は解字しますと、言の字におほひかくすこゝろの音がしたがひ「悪くないひとを悪人にしたてる」意を表します。

 幸ひ国語にはこれらに相当するコトバが見当たらない。しかし、この demonize も誣も、その心は確実に、わが国にいつしか浸透してゐたのでした。その心とは何か、ニーチェ曰く、

「私の氣分が惡いのは、誰かの所爲に違ひない」──病人はすべてかういふ風に推論する。木場深定 訳『道徳の系譜』禁欲主義的理想は何を意味するか 十五|岩波文庫

 つまりそれは普通、何か負ひ目があって、そのやましさを覆ひ隠すためにすることでした。すると私たちは病んだのか。

 なにしろ小欄は「戸塚流」を支持いたします。教育現場の取材を以前してゐた経験がありますので、皆のコメントをとても興味深く読みました(あるいは、これらの反駁がもし、世論操作を企図したロボットによる書き込みだとしたら、何らかの意図を以て彼が demonize されてゐることになる)。たゞし体罰や戸塚さんに肯定的なコメントにも相当に誤解があるのでした。けだしその方がより深刻な問題だった。

 なぜなら、それらの肯定的な意見が悉皆ステレオタイプであり、次に示しますやうに、戸塚さんが彼の立場を著した『本能の力』などの、これに関連する資料を一切読まずに、例外なく書き込まれてゐたからでした。もし身体だけが大人になった者でなければ、賛成にせよ不賛成にせよ、彼の意見は、その対象の実態や論旨をよく研究し、また己の発言が誰に何を生じるかをよく承知した上で表現される。

 かゝるステレオタイプとは、たとへば「昔は体罰があたりまへだった」といふものです。これは謬見でございます。

 師範学校を出なければ教員になれなかった時代は、生徒に対する体罰は一切なかった。換言すれば謂はゆる「体罰」は教員資格が免状になった戦後の陋習であり、師範学校卒すなはち「教育のプロ」は生徒を決して打擲しなかった。それが真実です。教鞭といふ言葉がありますが、これなどは洋籍から拾って国語になったことばであり──マーク・トウェインの小説にあるやうに──欧米も含めて外国の教室は実際に鞭を常備してゐたのでした。わが国の農家では牛馬さへも声をかけて働かせ、鞭打つことはなかった。ましてや指導者が人の子供を叩くなど考へられなかった。

 これまで戸塚さんは「すべての児童に体罰が必要だ」などと述べたことはない。体罰については、実は私たちが側聞するやうな「言ふことを聴かない子」に対する指導ではなくて、文字どほり芯までスポイルされて育ったために、生きる力を失った特殊な事例に対処する方法としてこれを有効と考へてをられる。この「スポイル」もまた demonize 同様に国語にはないコトバだ。たゞし片仮名で使へるのは、すでに日本語になってゐるからだった。

 ふつう日本語でスポイルは「甘やかす」といふ意味で使はれますが、spoil の本義は make useless すなはち「使ひものにならなくする」ことでございます。このとき「家庭で甘やかされて育った者は決して一人前になれない」と、暗にこの言葉はいってゐるのでした。わが国では甘やかされて育ったからといって「一人前になれない」といふことはない。それは「ひとに教へを授かって一人前になる文化」が、わが国にはあるからでした。

 外国では就職しても、仕事なぞ誰も教へてくれない。だから単純労働者になるか、学位を取ってから社会に出るか、向かうでは二つにひとつしかないのです。何でも教へてもらふにはお金がゐる。わが国では先輩や上司が仕事を無償で教へてくれる。違ひますか。すなはち戸塚宏がスポイルされた子供を諦めないのは、本来の日本人の辞書には spoil といふコトバがないからでした。

 これらの彼に「反論」する人々は一様に寡聞で、そのため発言や書いてゐることがあまりにも荒誕であり、反論にさへなってゐない。その言ひざまや筆致こそ他人事だと思ってゐる証拠ではないか。この「戸塚流」の他に、くだんの児童たちを救ふ方法は、まづないと小欄は思ひます。だから保護者の皆さんはどうか、政治的力学によって恣意的に変遷する洋学なんぞの影響を漫然と受けないでほしい。つまり、どうか体罰が必要な状態まで児童たちを追ひ込まないでほしい。

 ある親たちは己の子供に対する行ひを「暴力ではなくて躾だ」と言ふ。これに対して「体罰は暴力だ」と言ふひとがある。

 これらの理解はいづれも道理に暗いことの現れであって、もちろん体罰と暴力には明確なけぢめがあります。まづ時計がそれを示してくれる。たとへば、わが子が嘘をついた際に、嘘をつかれたお母さんが「嘘をつかれた反応」としてその子の頬を掌で打つ。これは忽ちのうちに実行され、それぎりで終はります。これに対して、己に抵抗できない者に対する暴力は己の快楽のためにすることですから、5分、30分、1時間、2時間と時間をかけて実行される。かうして両者は峻別することができる。

 このとき前者は肉親としての自然な反応として「思はず叩いてしまった」のであって、決して意図して打擲したのではなかった。後者の打擲は快楽のために実行されるのだから、はっきりと意図して、理性的に実行される。換言すれば、これは本能と理性のわきためでもあります。理性で打擲した者と、さうでなかった者、はたして打たれた者はどちらを恨むか。

 

もはや何も共有しない、その結果

 古いひとは覚えてゐると思ひますが、運動部の練習や稽古の最中に指導者が教へ子たちに「水を飲ませない」といふことがありました。古来わが国の師範たちは子弟に遠泳や登山などをさせて体力の限界、極限の状態を体験させる指導をした。これこそ「生きる力を引き出す」ために最も有効な指導なのです。今日これを非科学的だと私たちは考へる。

 まづ科学とは何か、それさへ今の私たちには分からないのでした。その古式の指導方法が謂はゆる「精神論」ではなくて、科学的根拠、すなはち一定の合理性に基づいてゐること、それは先達の教育の成果と今日の私たちの姿とを比較すれば一目瞭然でございます。まさに戸塚宏著『本能の力』はそれを科学的に証明した本だった。それに「ひとが自立して生きてゆく力を引き出してやる」といふこと、科学以前にこれ以上の愛はないのです。すなはち戸塚宏は時艱によって病んだ青少年を救出する方法を将来に亘って示した。なぜなら彼には私たちと違って同胞意識があったからだ。だからこそ、マスコミにとって、換言すれば戦後体制にとって、戸塚さんは絶対に demonize すべき存在になった。

 たゞしマスコミは虚業であり、この demonize を実態にしてゐるのは私たち自身であった。本件を通じて小欄は、私たちが一様に短絡的になったことを実感いたします。だから私たちはこの卑しい、己の誣告を恬として恥ぢない。そのおやの英知を知らざる孤陋ゆゑの倨りが、この児童を積極的に殺傷する傾向、そして誰もその命を守ってやれなくなった今日の国情に、あきらかに反映してゐると考へますが、実際どうでせうか。

R8.1.31  ミソラ通信

 

* https://www.youtube.com/watch?v=HXEB_XaVzEg

 

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見合ひ結婚とLGBT理解増進法との意外な、不可分の関係

 だいたい二十四、五歳になると、父母や叔父叔母から「そろそろ結婚しなさい」と促された。そんなお節介は今では誰も焼きませんが、それが昔はあたりまへでした。

 それは昔──といっても古代や中世のことぢやなく──せいぜい百年くらゐ前、小欄の祖父母たちの時代の話です。交際してゐる相手があればそれでよし、なければ、

「んぢやァ、あたし先日お見合ひした、あの方にする」

 と決めるまで執拗に縁談を勧められる。

 だから百年前の日本では、みんな二十代になるとなんとなく結婚してゐた。

 換言すれば、見合ひ婚があたりまへだった昔の日本社会では、メヲト(夫婦)とコヒ(恋)とは別物でした。

 すると次のやうに、往時は「同性婚を認めろ」といふ声が挙がる、それ自体が考へられないことだったことが分かる。

 同性愛者は、とりわけキリスト教を国教とした国々では久しく迫害されてきた。

 マルチェロ・マストロヤンニが主演した『特別な一日』といふ映画が昔ありましたが、あの映画のやうに同性愛者だといふだけで仕事を追はれることは、向かうではざらにあった。だからその権利を求める声は19世紀にはすでに聞こえました。さやうな迫害の歴史は、これからお示しするやうに、わが国にはない。だからわが国では、この権利拡大を要求する声は近年に至って初めて挙がりはじめた。すなはち実情がないのに、かゝる声が挙がる。それを私たちは何ら奇異だとは感じないらしい。現に令和5年6月16日に参議院で可決されて成立したLGBT理解増進法(性的指向及びジェンダーアイデンティティの多様性に関する国民の理解の増進に関する法律)、この法案に異論を申したのは、与党から「岩盤」と指呼されてゐる少数派であり、その結果本法案は可決された。すなはちこの可決が、先祖から授かった私たちの社会が大きく変容する、そのきっかけになったことに、大多数の有権者は無関心であった。わが祖父母の時代と比較したとき、この反応は比較にもならない。これは私たちの知性が薄弱になった証だった。

 だから夫婦めをととは何か、その問ひに私たちは答へることができない。さやうに母国語を知らざると雖も、いま私たちは外来語を頻々と用ふ。か、

 メヲトのメは female を ヲトは male をそれぞれ意味します。すると今日、

「私たち結婚しました」

 と言ってゐることを、昔のひとは、

「私たち女と男になりました」

 と言ってゐたことになる。

 それは国語の古語らしくて、直くて可愛いのでした。メヲトは漢字では夫婦と書きます。すなはち漢字では女と男の順序があべこべになる。実際『特別な一日』は、外国では嫁が夫に使役され、人として扱はれざる現実があるからこそ映画に、一葉の抒情詩になり得た。ではわが国におけるメヲトとは何か。これに万葉集が答へて歌ふ、

秋さらば見つつ思へと妹が植ゑしやどのなでしこ咲きにけるかも

巻三-四六

 この人類最古の歌集には、他にもメヲトの情を詠んだウタが沢山あります。たゞしコヒでも友情でもなく、おそらくそれ以上の温かい気持ちを介して夫婦めをとが伴侶を敬愛し、お互ひを大事にする、そして深い思ひやりでお互ひを労ひ合ふ、さやうなメヲトの関係など、昭和ヒト桁より前の世代のお身内がある人でなければ、もはや想像さへできなくなりました。

 往時は前述のやうに、多くの人は見合ひで結ばれた。このとき伴侶が外でどんな遊びをしようと、干渉する所以はメヲトにはなかった。なかには清水次郎長とお蝶のやうな今日的な夫婦も少なからずあったでせう、しかし余人は夫婦生活とは別に、色道いろのみちを求めたものです。

 先達が色道を往くとき、相手が異性のときもあれば同性のときもあった。

 だから衆道もごくノーマルだった。井原西鶴の『好色一代男』も、二人目の相手は男子だった。いはゆるBLではなくて、大衆の読み物で、ふつうに男同士の性愛が江戸時代は表現されてゐたのでした。つまり「ふつう」といふのはさういふことだった。それから、実際に十手を預ってゐたひとに取材して書かれた『半七捕物帳』にも、女同士の情事が引き起こした事件の始末が「唐人飴」といふ話に詳しく書いてあります。

 この際「良し悪し」の問題は誰の基準か判らない。唯たゞ人とは──みんな同じやうでゐて各々異なる性質を持ち、みんな違ふやうでどこか似てゐる──さういふ生き物であった。人間のさがが今になって突然変異を起こすわけがない。今日LGBTと自認してゐる人々は人類の黎明のときから皆の隣人として存在してゐたのでした。では何故それが今さら問題になるのか。それは小欄が先日ポストした、この動画が回答するでせう。

 いまLGBTと指呼されてゐる人々も、かつては普通に見合ひをして所帯を持ち、たくさん子宝を授かった。だから老ひて孤独死することもなかった。さやうなおやたちと私たちと、いづれが幸福か。今それを私たちは真剣に考へてみたい。

 恋愛は、誰もが器用にできるものではなかった。現実はドラマのやうにはならない。そのとき不器用な彼らは、見合ひ結婚といふ選択肢がなかったら、どうしたらよいのだ。今の世情は「結婚したければ恋愛しろ」といふけれど、どうしても彼らは恋愛に興味が持てない。唯なんとなく、彼らにはそれが億劫なのだ。すると「嫌なら一生家庭を持つな」と、いま私たちは彼らに言ってゐることになる。

 さうかと思へば、誰かにコヒする度に伴侶を取り替へる。その不義理を「不倫だ」といって訴訟を起こす。さやうな道理に合はざることがまかり通ってゐる今日こそ理不尽な時代であることは、この今昔の比較から自明なのです。メヲトとコヒを混同して、かゝる性愛といふ拙い妹背事を世の中の基準にしたなら、そこに多様性など生じるわけがなく、したがって大半の人々が世を忍んで、逼塞の一生を過ごさねばなりません。いったい日本はさやうな国ではないことを、次にモラエスが教へてくれるでせう。

 明治の御代に来朝し、帰国せずに徳島で老ひて客死したヴェンセスラウ・デ・モラエスといふ文士がゐました。

 彼は「芸者や僧侶などの例外を除いて、日本人はみんな結婚してゐる。だから津々浦々で、子供たちがそこいらぢうでワイワイ騒ぎをしてゐる」と、今よりもずっと貧しかった時代の日本を描写してゐます*1 。これは随筆ですが嘘だと疑ふ人はないでせう。彼が「みんな結婚してゐる」と云ふのは謂はゆるLGBTの人々も含めてといふ意味でした。見合ひ婚が人々の暮らしに確実な安定をもらたしてゐたから、少子化の問題も生じなかった。

 LGBTでなくても、人と上手に交際できないひとは沢山ある。それが今はなぜ、夫婦は性愛によらなければ結ばれなくなったのか。

 実は同衾を重ねるに至ればきっと醒める、とりわけ性愛に夢中になる者にとってはいっときの情にすぎない恋愛感情などといふものを、いつしか日本人は浅はかにも、殊更に尊むやうになった。私たちは今日、この新約聖書一流の規範に基づいた、いはゆるノーマルな性愛をする人々の性向を社会全体に押し付けてゐます。*2

 すなはち進駐軍が民政局などを通じて日本人を指導した、曰く「民主主義」を、私たちは文字どほり有り難く奉ったのでした。彼の指導は民政局から戦後体制へと移譲して、かうして今日に至ってゐる。まさに絵に描いたやうな、我々は曲学阿世の徒であった。

 かくして私たちは幸多かった見合ひ婚の習慣を捨てゝ、今日のやうな薄幸にすゝんで身を投じた。それは国学(先祖の教へ)を捨てゝ異教を私たちの学問の基礎にした結果でした。それを「ひとつ覚え」だと省みることができないほど、私たちは粗忽になってゐた。幕末の志士たちのやうに国学を基礎として、そのうへで洋学をやったらよろしいのですが、狂人といふのは何でも極端で一辺倒なのです。この先例を見ると、国学を学問の基礎としたとき、はじめて外来の学問が活きることが判る。では狂人とは何か。

 かつてチェスタトンといふイギリス人がこれに答へて言ったとほり、それは「理性以外のすべてを失った者」であった。現に私たちは精神鑑定を受けたとしても「正常」と判定される人種であった。このとき理性は、己の理解を以て平然と先祖の教へに背いたのでした。

 さういへばおやの教へを恒に何よりも有り難く顧み、大事にしてゐた時代の日本人は、毎日働かなくても充分食べてゆけたし、ましてや今日の私たちのやうに頻々と「絶望」して、鉄道の軌道に飛び込んだりはしなかった。

R8.1.28  ミソラ通信

 

*1 W・モラエス著『日本精神』

 

*2 その統計などの資料を整理した動画↓

*3 およそ国学とは古事記を学ぶことです↓

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