むかし数学者の岡潔が「あとで小さな誤りが見つかる論文は、大筋では正しいことが多い。しかし、ひとつも誤りが見つからない論文は、その論旨そのものが僻事であることが多い」といふやうなことを、どこかに書いてゐました。本件はその僻事の話でございます。
昭和の御代の末から平成の御代のはじめにかけて経験した好景気を、いま私たちは「バブル」と呼んでゐます。これは実は僻事ですので、それを小欄は皆さんとこゝで確認してみたいと思ひます。
投機の結果起きる急激な景気の後退を「バブル崩壊」と指呼するのは正しいでせう。とりわけ不動産市場といふのは、それ自体がすでに投機市場ですから、そこでは常に「バブル」とその「崩壊」とをくり返してゐる。先年のリーマンショックなどはその好例でせうか。昭和の末から平成のはじめにも不動産市場における「バブル」とその「崩壊」は実際あったのでした。たゞしそれは常に──さう、五年から十年に一度くらゐは──ざらにあることです。では、かゝる「バブル」とはいったい何か。
たとへば、ある駅の周辺の家賃の相場が4万円だとします。戦前のやうに大家から直に借りられゝば嬉しいけれど、今は仲介業者が業界ぐるみで同調してこれを軒並み6万円にして貸す。だから住まふひとは、大家が決めた金額よりも2万円多く払ふ。この2万円が要するにバブル(泡)でございます。もっと千三つ屋は儲けたいから、時に乗じてこの泡ぶくが膨張してゆく。換言すれば、戦前は本件のやうな不動産バブルは生じなかった。いまアパートの家賃を身近な例にしましたが、これが一等地で、それを担保にして皆が投資などしたらどうなるか。あのときは次第にあちこちでそれが不良債権になった。
もう「地上げ屋」といふ流行り言葉を覚えてゐるひとは多くないかもしれませんが、実はこの「バブルの時代」の黎明の年になった昭和61年には「市場原理にゆだねろ」「時代錯誤だ」といふ世論に推されて地代家賃統制令が失効してゐます。これは良好な国民の住宅事情を維持するために昭和14年に出された勅令でした。かうして釘を刺すものがなくなって、不動産価格が野放図になった。
この際かゝる不動産バブルのリスクを負ふのは、投機に夢中になってゐる我利我利亡者どもであって私たち庶民ではない。国民の多くは、さやうな虚業ではなく、何らかの実業を生業とする堅気なのだから、かゝる泡ぶくなぞ寧ろ「崩壊」してくれた方が有難い。だから「あの時代そのものがバブル」と誤解してゐる限り、日本人は再びこの景気低迷を克服して自国を繁栄させることはできないでせう。いくら高市さんを一生懸命応援しても、それは無理な算段なのでございます。仮にいっとき景気が良くなったとしても、いづれ同じことを繰り返すのは自明だ。これはたとへば、虚弱体質の子供が「自分は足が悪くて歩けない」と信じこんで、半生を車椅子で消光することに似てゐる。もちろん実は彼は歩けるのですが、その自覚がないのです。
なにゆゑ私たちは、かつてやうに「神武景気」や「イザナギ景気」と呼ばずに、あの時代を「バブル」と指呼してゐるのか。およそ今日の私たちの頭のなかにある言葉は「耳で覚えた言葉」のやうです。
いま仕事や学問を通じた勉強から己の血肉になり、その上で世間様と共有するに至る言葉はごく稀になった。換言すれば耳に入ってきた新しい言葉を、私たちは「聞き慣れぬ変な言葉だ」と怪しむどころか、トレンドとして漫然と崇めさへする。つまり「変な言葉」を「怪しい」と解する知性を失った。今はどうか知りませんが、往時の日本人は「汗水たらして働く」実業をせずに「投機で稼ぐ」なぞといふことを、たしかに懐疑してゐたし、けだし軽蔑さへした。これはまだ誰もが覚えてゐることだし、さうであれば「あれが謂はゆるバブル崩壊なぞであるわけがない」ことが誰にでも分かるはずです。不動産市場が「バブル崩壊」することはあるだらう、しかし日本の国全体が恒久的に「バブル崩壊」するわけがあるか。あるいは「バブル」といふ言葉をひろめたマスコミは、財務省からレクチャされたことをそのまゝ報道してゐた。彼らは己が委細を承知せぬことを無責任に報道する媒体にすぎないし、それが現に生業になってゐるのだから、実はその罪は軽い。たゞし全国の有権者が、すなはち凡そ現代の全日本人が、これを疑ひなく「バブル」だと理解したのは事実であった。同様に私たちは「会社は社会の公器である」といふ祖の教へに「そんなの時代遅れだ」と言って背き、挙って「会社は株主のものだ」とする「株主資本主義」及びこれを基調とする新自由主義に靡いたこと、これもまた事実ではないか。現にこの世論を受けて、新自由主義を党是とするみんなの党や日本維新の会は晴れて国政政党になった。
この際この30年に及ぶデフレと国勢の凋落を引起こした主犯は私たち国民自身であり、次に示すやうに、かうして私たちが恣意的に価値観を変遷させることがその主因であることは間違ひない。すなはち私たちは、祖の教へである「三方よし」をやめて「もはら投機家の利益を図る事業をしよう」といふのです。同様に財務省が図った「緊縮財政」の施作を、たしかに私たちは支持した。
小泉内閣が進めた一連の「構造改革!」ないし「小さな政府!」に対するその熱い支持を、はっきりと投票行動で私たち国民は示した。そして毎年のやうに総理の首をすげ替へてゐた時代を私たちは終はらせて、5年半に及ぶ小泉さんの「長期政権」を実現させたのでした。続いてこの「緊縮財政」を補完した民主党政権の「コンクリートから人へ」や「事業仕分け──いちばん(世界一)じゃなきゃダメなんですか?」も同様に熱烈に支持して、その「政権交代」を実現させた。すなはち凡そ国が支出することを今後やめる。私たちは「国民経済や国土保全のために何も投資しない政府」を実に熱狂的に支持したのです。たとへば支出する装置である経済企画庁を廃する。そしてわが国の繁栄と国土の保全のために不可欠だった全国総合開発計画や長期経済計画を「無駄遣いだ」と言ってやめさせた。
いったいマスコミに「バブルが崩壊した」とあのときレクチャした財務省は当然、あの経済成長を「バブル」といふことにして、要するに「なかったこと」にしたかった。なぜなら、財務省は謂はゞ「政府の財布の紐を縛るファンクション」だからであります。ファンクションとは、たとへばウォークマンやDVDプレイヤーなどについてゐる「巻戻し」「再生」「早送り」などの機能がこれにあたります。すなはち「早送り」があるから「巻戻し」があり、「再生」があるから「停止」がある。このとき財務省の権能が「巻戻し」ボタンならば、当然「早送り」のボタンが別にあるのでした。その「早送り」や「再生」の機能を私たちは政府から奪ったのです。そして今「巻戻しと停止しかできないぞ」と、メーカーにクレームを言ってゐる。
さやうに私たちは「支出しない政府」といふ、この上なく奇怪なものを疑はずに、これを漫然と、いゝえ盛大に支持した。そしてその結果が出た今もそれを省察しない。こゝにおいて今日の特異な不況(30年ものあひだ日本人が好景気を経験できないでゐる状況)は、私たちが祖の教へに背いて、米国製の「新自由主義」といふ、悪意のあるカルト宗教のごとき仕掛けを信じた、その盲信によるものだといふことは明らかなのです。
かゝる私たちの粗忽さを克服するために、小欄は次の動画を配信してゐます。
本件の入口↓
本件の実態↓
国土を保全することがわが国の繁栄を促す。たとへば常に水害に備へることで好調な景気が維持される。これは日本特有の国柄でもあります。この有史以来の摂理に背いては、わが国の繁栄はあり得ません。こちらの動画では視聴者の皆さんとそれを確認したいと思ひます。
R7.12.24 ミソラ通信