お前もいつかは 世の中の
傘になれよと 教えてくれた
『おふくろさん』歌:森進一|作詞:川内康範
戦前のお母さんは、たしかに我が子に、この歌のやうに説きました。
よく児童は、
「何のために勉強するの」
と大人に訊きます。
小欄は取材にお邪魔してゐるので、黙って聴いてゐますと、この際いまの大人は必ず、
「自分のためよ」
と答へる。
また、だいたい15歳くらゐになると子供は、
「何のために生きるの」
等と訊くことがある。
これはもちろん人生に絶望してさやうなことを訊ねるのではなくて、人生の目的を大人に問うてゐるのでした。
この際も大人は必ず、要するに
「自己実現のためよ」
と回答する。
教育勅語は、これとは対蹠の回答をします。
この児童たちの率直な問ひに、教育勅語は答へて、すなはち学問に励むのは公益のためであると詔りたまふ。ひいて何故ひとは生きるのか、それは「みんなのため」だといふことが、この勅語を奉唱すると分かるやうになってゐる。では「みんなのため」とは何か。
わが国には商ひの心得に「三方よし」といふのがあります。
その「三方」とは、売り手と買ひ手、それから世間様のことでした。すなはち己がものを売って儲かる、それは如何して所得になるのか。
まづ買ひ手もまた満足して得をする。ひいては皆の役に立つ商ひをすれば世間様が得をする。さうして世の中が豊かになった分、己も豊かになる。
これは「物の考へ方」ではなくて道理をいってゐる。すなはち誰かの理屈でなく真をいってゐるのでした。かうしてひとはマコトほど頼みになるものはないことを知る。換言すれば、ふだん覆ひ隠されて見えないマコトを、わが国の古人の知恵は明示する。かゝる伝統的な道徳を集約した詔が、教育勅語でございます。
さうして学問や仕事に励んでみて初めて、学問や仕事が他の何よりも面白いことに私たちは気が注くのでした。
このごろ松下幸之助と田中角栄が生前に書いたり話したりしたことが、格言として、謂はゆる啓発本などで盛んに引用されてゐます。松下さんも角さんも、家の事情で中学へは進学しなかった。では何が彼らをして偉人にせしめたのか、戦後に生まれ育った私たちには、それを実感を以て理解することはできない。同じ規格の工業製品のやうな人間ばかり製造してゐるこの戦後、換言すれば「使ひやすい、すなはち知能はあるけれど知性が薄弱」な人材ばかりを育てる戦後と、さうでなく二宮尊徳や藤田幽谷や豊臣秀吉、そしてこの二人のやうな、挙げればきりがない個性的な指導者を育てた戦前が、まるで私たちには違ふ世界に感じられる。彼らのやうな哲人が庶民から出ることは、海外では考へられないことだ。また松下さんと角さんの言動は、例外なく教育勅語に淵源があった。だから教育勅語を知らざる私たちには、ふたりの云為の本意が、実は充分には分からない。
では戦後になって、
「自己実現のために生きなさい」
「誰のためでもなく、自分のために生きなさい」
と児童たちに教へるやうになって、どうなったか。
その変遷と、これが関係があるのか知らむ。たゞし現に、児童たちは「シンナー遊び」といって、トルエンをビニール袋のなかにお猪口一杯分を垂らして、その気化したトルエンを吸引するやうになった。これはまさに戦前にはなかった遊びだった。
こんな歌が流行ったことがあります、
トルエン、トルエン走ってゆけ、トルエン、トルエンどこまでも
もちろんこの薬品の名称は文字って歌はれてリリースされたけれど、これは直球で青少年の心に届いた歌だった。
この薬物は昭和47年の法改正で、児童が容易に入手できないやうになった。取締まりが厳しくなって、大人が児童たちからこの薬物を取り上げると、今度は謂はゆる「いじめ」が流行した。その実態は被害者を自裁させる遊びであった。このことから、もし「いじめ」を児童たちから取り上げたなら、おそらくこれに代替するものが、また流行ることが分かる。
すると「自分のため」とは何なのか。
それは少なくとも児童たちにとっては「刹那の快楽のため」でしかなかった。それからダーウィニズムの「淘汰」を、それはひとに想起させる。さなきだに、周囲を見れば誰もが「自分のため」に夢中になってゐたなら、健やかな精神と知性を持った者であれば、そこから逃避したくなるだらう。優しいお母さんはそれを見て「頑張って」と、わが子を励ますだらう。その結果どうなるのか。
ひとが生きるわけは「みんなのため」だと知って努力した者と、それは「自分のため」だと教へられて努力した者とでは、どうしてもその器量と人間の性質が、おのづから異なる。換言すれば、安藤昇ではないが、傀儡政権下でぐれずに大人になるのは、打算であった。
教育勅語の読み方
昔の児童たちは教育勅語を、耳で聴いてその発声の調子を覚えて、それからこれを真似て音読しました。だからこの動画では、とりわけ声調を工夫して収録いたしましたので聴いてみて下さい。これは児童が敎育ニ關スル勅語を素読できるやうに工夫して作った動画ですので、教育勅語の原本を示して奉唱いたします。教育勅語の原文とは、まさに明治二十三年十月三十日に親翰された敎育ニ關スル勅語の原典でございます。
ある歌を聴いて好きになると、私たちは強いて暗記せずとも、自然と口遊むやうになります。教育勅語のやうな文語体のフミは、歌と同じ様に覚えることができます。また歌は唄ってゐるうちに歌詞の意味がわかってくることがあります。素読もこれと同じことです。素読とは文章を音読することですが、そこに書いてあることが読解できなくても、これを専ら音読してみることです。これは古来わが国で、師範が児童に指導してきた伝統的な手習ひの指導方法でした。先人の学力とその成果と、今日の私たちのそれとを比較すれば、伝統的な指導方法が如何に優れてゐたかがわかります。
いま公教育で教へる必要はあるか
教育勅語が戦前のやうに小学校で教へられる、およそ今はその見通しはないのですが、さほどそれは心配には及びません。いったい日本人の学問は私学から興ったのでした。長い国史を顧みれば、かつて先達は公教育に頼って学問を大成させたことはありません。現に今日の公教育にしても御維新の後に新政府の指導で、私学の寺子屋や手習所を小学校尋常科として統廃合したのがはじまりでした。その御維新を成就させたのもまた私学によるところが大きい。
幕末の志士たちは今日のやうな連絡手段がない時代にも関はらず、全国各地で同期して討幕運動をしました。この同期が奏功して大政奉還は成功しましたが、いづこも彼らの在所では国学が盛んでした。およそ国学とは古事記を学ぶことです。彼らが盛んに言った「尊皇」「勤皇」とはその国学に依拠する心でした。だから彼らは各々仕へる殿様は違っても、目的を共有して奮闘努力することができた。それを知らぬからか、あるいはこの国学の力を塗抹するためか知らん、これを一概に「彼らは外国に操られてゐたからだ」といふ荒誕の説を吹聴する輩が頃日ふえてゐます。実際それたけ見事に同期してゐたといふことです。
教育勅語や古事記が大切だとわかったなら、私たちも各々の持ち場でこれを習ひ、児童に教へたらよいのです。一度できたことは何度でも出来るものでございます。
祖国とは国語なり
さて印刷しますと素読する際により勝手がよいので、下欄に教育勅語を文字起こし致しました。読み仮名の仮名遣ひも「知性を刺激する」といふ点ではとても大切ですので、もちろん本仮名遣ひで記載してあります。
今日ひろく「歴史的仮名遣い」と称されてゐるこの本仮名遣ひは、国語の原点と繋がってゐます。だから仮名遣ひ次第で、ものの質感がずいぶん違ってきます。
たとへば水は「現代仮名遣い」ではミズですが、本来はミヅと仮名遣ひします。どちらがより水々しく感じられるか。これはその違ひが「よくわかる」と言ふ人と「あまりよくわからない」と言ふ人とに分かれるやうです。ではミミズといふ生き物の名称とこれを比較してみますと、かゝるミズとミヅの語感は、次のやうに誰にとっても違って感じられるでせう。
雨の日に地中から這ひ出てまいりますあの高名な生き物を、東京ではミミズと指呼しますが、私たちの国語が発祥した西日本ではメメズと呼ぶ地方が多いやうです。この名称の由来は、あれは「目見えず」だからメメズと言ふのだとよくわかる例ですが、だからヅではなくズと仮名遣ひするのだといふ故由もまたこれはよくわかる。国語の文法の理屈を無理に覚へずとも、この語尾の「ズ」は助動詞だといふことを、これは仮名遣ひが暗に教へてくれる例です。すると子供に水をミズと訓ませるのは、やはり大分おかしいやうでございます。こゝでは語感を話題にしてゐますが、語感以前に、そもそも誤った国語を、今の大人は子供に教へてゐるのです。
ミヅ(水)は、ツユ(梅雨)やミツ(蜜)などと同じくツの音で言ひあらはします。コトダマ(言霊)といふ言葉がありますが、それは何も抽象的なことではなくて、さやうにイニシヘに生じた言葉のココロ、その球根のやうなものから、コトバを介して、そのイニシヘの素直な心が現在に通ってくるものを謂ひます。すると「現代仮名遣い」は、その通ひ道を遮断してゐることがわかります。
いま公教育で「国語」として児童に教授し、結果的に「国語」になってなってゐる「現代仮名遣い」は、私たちの国が占領中だった昭和21年に「現代語をかなで書きで表す場合の準則」として国が定め、多くの不賛成の声が黙殺されて制となり、今日に至ってゐます。現に政府機関である神社本庁までもが、この上意下達に抗ひまして、その機関紙の神社新報(jinja.co.jp)は今でも本来の仮名遣ひで発行されてゐます。
なぜ先達がこの上意下達に不賛成だったかと申せば、何よりも国民とその祖たちの歴史のあひだに断絶が生じるからでした。その「断絶」とは何か。
上記のことから察することができるのは「表現の機微が世代間で通じなくなる」ことですが、これは実はそれだけでは済みませぬ。やはり占領中に漢字もまた、本字から現在の異形の常用漢字へと改められました。たとへば學の字は学と、戀の字は恋と改められた。かうして仮名も漢字も文字を変へてしまふのですから、占領以前に書かれた文章が「新カナ・新字」で国語を習った戦後世代には読みづらくなる。現在の為政者の都合で人為的に国語を変へれば、昔のひとが書いたものを国民が読めなくなる、これは当然さうなります。つまり「国民が歴史上のすべての書物を原文では容易に読解できなくなる」のです。
だから今や私たちは、己に要る古文については、誰かが「現代語訳」にしてくれるまで待たねばならない。かうして昔のひとが書いたものを、ぢかに己の手にとって読めなくなったとき、国語といふのは蓄積された英知であり、私たちがすっかりそれを失ったことが分かるでせう。
この旧戦勝国の戦後体制は、鉄血宰相ビスマルク曰く「賢者は歴史から学ぶ」この格言が真理であることを知ってゐたからこそ、私たちが歴史から学ぶことができない状態をつくったのでした。現にいま書肆が扱ってゐる図書が悉皆、戦後体制に同調した出版物であることことを知悉してゐる者には、いま私たちは何ひとつ「歴史から学ぶ」ことができない状態にあることが判る。これは私見ですが、この仮名遣ひの改訂が占領中のことだったことから、かゝる先祖の英知から国民を「断絶」させる謂はゆる「愚民化政策」がその意図であったと小欄は考へてゐます。いまban(公から追放)されてゐるのは、この教育勅語だけではないのでした。
なにしろ母国語といふのは文科省などの役所が「今日からこれが国語だ」と上意下達して、国民がそれを国語として受け入れるものではありません。やはり国語は祖から子へと代々継承されるのが自然であり本統なのです。
教育勅語もまた、まづその語感から児童は意を感じとり、彼らの人生経験のなかでこれを咀嚼し、さうして理屈でなく血肉になってゆく、国語の名句です。
ウェブ上で表示できない漢字は常用漢字に変換されます。
敎育ニ關スル勅語
ケウイク ニ クワンスル チヨクゴ
朕惟フニ我力皇祖皇宗
チン オモフ ニ ワガ クワウソ クワウソウ
國ヲ肇ムルコト宏遠ニ徳ヲ樹ツルコト深厚ナリ
クニ ヲ ハジムルコト クワウヱン ニ トク ヲ タツルコト シンコウ ナリ
我力臣民克ク忠ニ克ク孝ニ
ワガ シンミン ヨク チユウ ニ ヨク カウ ニ
億兆心ヲ一ニシテ世々厥ノ美ヲ済セルハ
オクテウ コヽロ ヲ イツニシテ ヨヽ ソノ ビ ヲ ナセル ハ
此レ我力國體ノ精華ニシテ
コレ ワガ コクタイ ノ セイクワ ニシテ
教育ノ淵源亦實ニ此ニ存ス
ケウイク ノ エンゲン マタ ジツニ コヽニ ソンス
爾臣民父母ニ孝ニ兄弟ニ友ニ
ナンヂ シンミン フボ ニ カウ ニ ケイテイ ニ イウ ニ
夫婦相和シ朋友相信シ
フウフ アヒワシ ホウイウ アヒ シンジ
恭倹己レヲ持シ博愛衆ニ及ホシ
キヨウケン オノレ ヲ ヂシ ハクアイ シユウ ニ オヨボシ
學ヲ修メ業ヲ習ヒ
ガク ヲ ヲサメ ゲフ ヲ ナラヒ
以テ智能ヲ啓發シ徳器ヲ成就シ
モテ チノウ ヲ ケイハツシ トクキ ヲ ジヤウジユシ
進テ公益ヲ廣メ世務ヲ開キ
スヽンデ コウエキ ヲ ヒロメ セイム ヲ ヒラキ
常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ
ツネ ニ コクケン ヲ オモンジ コクハフ ニ シタガヒ
一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ
イツタン クワンキフ アレバ ギユウ コウニ ホウジ
以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ
モテ テンジヤウ ムキユウ ノ クワウウン ヲ フヨク スベシ
是ノ如キハ獨リ朕力忠良ノ臣民タルノミナラス
カク ノ ゴトキ ハ ヒトリ チン ガ チユウリヤウ ノ シンミン タルノミ ナラズ
又以テ爾祖先ノ遺風ヲ顯彰スルニ足ラン
マタ モテ ナンヂ ソセンノ ヰフウ ヲ ケンシヤウ スル ニ タラン
斯ノ道ハ實ニ我力皇祖皇宗ノ遺訓ニシテ
コノ ミチ ハ ジツニ ワガ クワウソ クワウソウ ノ ヰクン ニシテ
子孫臣民ノ倶ニ遵守スヘキ所
シソン シンミン ノ トモニ ソンシユ スベキ トコロ
之ヲ古今ニ通シテ謬ラス
コレ ヲ コキン ニ ツウジテ アヤマラズ
之ヲ中外ニ施シテ悖ラス
コレ ヲ チユウグワイ ニ ホドコシテ モトラズ
朕爾臣民ト倶ニ
チン ナンヂ シンミント トモ ニ
拳々服膺シテ咸其徳ヲ一ニセンコトヲ庶幾フ
ケンケン フクヨウシテ ミナ ソノ トク ヲ イツ ニ センコト ヲ コヒ ネガフ
明治二十三年十月三十日
メイヂ 二十三ネン 十グワツ 三十ニチ
御名御璽
ギヨメイ ギヨジ