ボツにされた記事の方が面白い

ボツになった記事などを掲載してゐます。よその媒体の取材中に、ゆくりなく逢着する情報は、媒体にとっては無価値だからこそ、この紙幅で至福の記事になる…かもです。

体罰と暴力の違ひ|時計がこれを峻別する

 児童が家庭で殺されるたびに、私たちは同じ言ひ逃れと議論をくり返す。

 でも児童に対する体罰と暴力には、はっきりとしたけぢめが実はあります。意外これは簡単に線引きできるので、ご関心のある皆さんは読んで行って下さい。

 顧みれば、本件は昭和58年に起きた「戸塚ヨットスクール事件」が、マスコミで大きく取り上げられて以来、概ね世論を二分してゐる。あのときは「事件なのか、事故なのか」といふ論争でした。なにしろ、この事件ないし事故を引き起こした戸塚宏校長は、実は今も世論に叩かれてゐます。それもきはめて激しい口撃が、未だに続いてゐるのでした。

 今ひろく視聴されてゐるYouTubeなどでは、どれだけの人が本件に関心を持ってゐるか、それが数字で示されます。たとへばあるユーチューバーが折に触れて──すなはち痛ましい虐待事件などに際して──この「戸塚ヨットスクール事件」に言及する。いつも彼は視聴者の前に医療現場の作務衣スクラブを着て現れる。すると「お医者さま」のご見解をありがたく拝聴した、文字どほりごまんとゐる視聴者が、彼の見解に賛成票を投じる。またその旨したゝたコメントをそこに残してゆく。このとき彼は「私は体罰に断固反対する」と訴へた。*

 当人の戸塚校長もまた、彼のYouTubeチャンネルで持論を述べると、これに反論してやらうと、同様に沢山の視聴者が思ひ思ひのコメントをそこに残してゆきます。

 それらをいちいち読んでみますと、どうやら戸塚さんは demonize されてゐるらしかった。

 

誰かを悪者にして澄ませる

 demonize とは、いはゆる悪魔と翻訳される demon に、接尾辞の ize したがふことで「悪魔化する」といふ意味になる英語でございます。換言すれば、それは「悪魔化」す可き対象を、あへて「吊し上げる」ことで、おのれがその対岸に立つことであった。すなはち demonize する者は、あくまで善悪の視点でこれを説き、己が善の側に立たむとする。

 これを漢字では誣と書き表すでせうか。誣の字は解字しますと、言の字におほひかくすこゝろの音がしたがひ「悪くないひとを悪人にしたてる」意を表します。

 幸ひ国語にはこれらに相当するコトバが見当たらない。しかし、この demonize も誣も、その心は確実に、わが国にいつしか浸透してゐたのでした。その心とは何か、ニーチェ曰く、

「私の氣分が惡いのは、誰かの所爲に違ひない」──病人はすべてかういふ風に推論する。木場深定 訳『道徳の系譜』禁欲主義的理想は何を意味するか 十五|岩波文庫

 つまりそれは普通、何か負ひ目があって、そのやましさを覆ひ隠すためにすることでした。すると私たちは病んだのか。

 なにしろ小欄は「戸塚流」を支持いたします。教育現場の取材を以前してゐた経験がありますので、皆のコメントをとても興味深く読みました(あるいは、これらの反駁がもし、世論操作を企図したロボットによる書き込みだとしたら、何らかの意図を以て彼が demonize されてゐることになる)。たゞし体罰や戸塚さんに肯定的なコメントにも相当に誤解があるのでした。けだしその方がより深刻な問題だった。

 なぜなら、それらの肯定的な意見が悉皆ステレオタイプであり、次に示しますやうに、戸塚さんが彼の立場を著した『本能の力』などの、これに関連する資料を一切読まずに、例外なく書き込まれてゐたからでした。もし身体だけが大人になった者でなければ、賛成にせよ不賛成にせよ、彼の意見は、その対象の実態や論旨をよく研究し、また己の発言が誰に何を生じるかをよく承知した上で表現される。

 かゝるステレオタイプとは、たとへば「昔は体罰があたりまへだった」といふものです。これは謬見でございます。

 師範学校を出なければ教員になれなかった時代は、生徒に対する体罰は一切なかった。換言すれば謂はゆる「体罰」は教員資格が免状になった戦後の陋習であり、師範学校卒すなはち「教育のプロ」は生徒を決して打擲しなかった。それが真実です。教鞭といふ言葉がありますが、これなどは洋籍から拾って国語になったことばであり──マーク・トウェインの小説にあるやうに──欧米も含めて外国の教室は実際に鞭を常備してゐたのでした。わが国の農家では牛馬さへも声をかけて働かせ、鞭打つことはなかった。ましてや指導者が人の子供を叩くなど考へられなかった。

 これまで戸塚さんは「すべての児童に体罰が必要だ」などと述べたことはない。体罰については、実は私たちが側聞するやうな「言ふことを聴かない子」に対する指導ではなくて、文字どほり芯までスポイルされて育ったために、生きる力を失った特殊な事例に対処する方法としてこれを有効と考へてをられる。この「スポイル」もまた demonize 同様に国語にはないコトバだ。たゞし片仮名で使へるのは、すでに日本語になってゐるからだった。

 ふつう日本語でスポイルは「甘やかす」といふ意味で使はれますが、spoil の本義は make useless すなはち「使ひものにならなくする」ことでございます。このとき「家庭で甘やかされて育った者は決して一人前になれない」と、暗にこの言葉はいってゐるのでした。わが国では甘やかされて育ったからといって「一人前になれない」といふことはない。それは「ひとに教へを授かって一人前になる文化」が、わが国にはあるからでした。

 外国では就職しても、仕事なぞ誰も教へてくれない。だから単純労働者になるか、学位を取ってから社会に出るか、向かうでは二つにひとつしかないのです。何でも教へてもらふにはお金がゐる。わが国では先輩や上司が仕事を無償で教へてくれる。違ひますか。すなはち戸塚宏がスポイルされた子供を諦めないのは、本来の日本人の辞書には spoil といふコトバがないからでした。

 これらの彼に「反論」する人々は一様に寡聞で、そのため発言や書いてゐることがあまりにも荒誕であり、反論にさへなってゐない。その言ひざまや筆致こそ他人事だと思ってゐる証拠ではないか。この「戸塚流」の他に、くだんの児童たちを救ふ方法は、まづないと小欄は思ひます。だから保護者の皆さんはどうか、政治的力学によって恣意的に変遷する洋学なんぞの影響を漫然と受けないでほしい。つまり、どうか体罰が必要な状態まで児童たちを追ひ込まないでほしい。

 ある親たちは己の子供に対する行ひを「暴力ではなくて躾だ」と言ふ。これに対して「体罰は暴力だ」と言ふひとがある。

 これらの理解はいづれも道理に暗いことの現れであって、もちろん体罰と暴力には明確なけぢめがあります。まづ時計がそれを示してくれる。たとへば、わが子が嘘をついた際に、嘘をつかれたお母さんが「嘘をつかれた反応」としてその子の頬を掌で打つ。これは忽ちのうちに実行され、それぎりで終はります。これに対して、己に抵抗できない者に対する暴力は己の快楽のためにすることですから、5分、30分、1時間、2時間と時間をかけて実行される。かうして両者は峻別することができる。

 このとき前者は肉親としての自然な反応として「思はず叩いてしまった」のであって、決して意図して打擲したのではなかった。後者の打擲は快楽のために実行されるのだから、はっきりと意図して、理性的に実行される。換言すれば、これは本能と理性のわきためでもあります。理性で打擲した者と、さうでなかった者、はたして打たれた者はどちらを恨むか。

 

もはや何も共有しない、その結果

 古いひとは覚えてゐると思ひますが、運動部の練習や稽古の最中に指導者が教へ子たちに「水を飲ませない」といふことがありました。古来わが国の師範たちは子弟に遠泳や登山などをさせて体力の限界、極限の状態を体験させる指導をした。これこそ「生きる力を引き出す」ために最も有効な指導なのです。今日これを非科学的だと私たちは考へる。

 まづ科学とは何か、それさへ今の私たちには分からないのでした。その古式の指導方法が謂はゆる「精神論」ではなくて、科学的根拠、すなはち一定の合理性に基づいてゐること、それは先達の教育の成果と今日の私たちの姿とを比較すれば一目瞭然でございます。まさに戸塚宏著『本能の力』はそれを科学的に証明した本だった。それに「ひとが自立して生きてゆく力を引き出してやる」といふこと、科学以前にこれ以上の愛はないのです。すなはち戸塚宏は時艱によって病んだ青少年を救出する方法を将来に亘って示した。なぜなら彼には私たちと違って同胞意識があったからだ。だからこそ、マスコミにとって、換言すれば戦後体制にとって、戸塚さんは絶対に demonize すべき存在になった。

 たゞしマスコミは虚業であり、この demonize を実態にしてゐるのは私たち自身であった。本件を通じて小欄は、私たちが一様に短絡的になったことを実感いたします。だから私たちはこの卑しい、己の誣告を恬として恥ぢない。そのおやの英知を知らざる孤陋ゆゑの倨りが、この児童を積極的に殺傷する傾向、そして誰もその命を守ってやれなくなった今日の国情に、あきらかに反映してゐると考へますが、実際どうでせうか。

R8.1.31  ミソラ通信

 

* https://www.youtube.com/watch?v=HXEB_XaVzEg

 

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