紀元節おめでたうございます
たくさんの昔話や民話を、わが国の児童は大人に読んでもらったり、自分でも読んだりします。これは、げに美風であった。
それで「昔のお百姓さんには姓がなかった」と、小さい子たちは思ふ。すなはち「姓があったのは武士だけだった」と考へるのでした。
あとで「あれはお百姓に姓がなかったのではなくて、姓を名乗ることを武士が許さなかったのだ」と知る者は、さだめし多くはないでせう。
では、どうして武士は、お百姓が姓を名乗ることを許さなかったのか。
そのわけを知るに至るひとは、もっと少ない。なぜなら、その解答を誰かに訊いたり、自分で調べたりしてみても、およそ正しい解答には逢着しないからでした。つまり、それたけ物事は、今日の価値観で整理され、理解されてゐると、これは換言することができる。
このとき「今日の価値観」とは、およそ洋学の視点であり、この場合ですと「マルクス史観」などとこれは指呼されることがあります。かゝる歴史観によると、昔のお百姓は例外なく、賎民でなければなりません。だから私たちの先祖も、相当に酷薄な、因業な目に遭ってゐたことになってゐます。
その正解は、わが国の物事の起源が記してある、古事に書いてあるのでしたが、これらを記した古人は、もちろん私たちのこの問ひに回答するために古事を記したのではありませんでした。だから「ズバリ正解はこれです」といふやうな一文は、どこにも書いてない。でも古事を読んでゐるうちに、次第にイニシヘの心が分かってきて、やがてズバリ解るやうになる。換言すれば、中世の書物を閲しても、中世のことしか判らないけれど、古事を閲すれば、中世のことも現代のことも判る。
古事記には神々の系譜と、その子孫がすべて記してあります。だから「この神は何処其処の造の祖なり」と、そこに記してあるとき、私たちの始祖が詔を承って鄙に下り、草深い国土を拓いたことが読者の瞼に浮かぶ。後に武士の世になって、将軍の遣ひで鄙に領地を拝領したその御家人衆が、イニシヘにその国を拓いた神々の子孫たちを、領民として治めることになります。さて、すると困ったことが出来る。
彼が統治する領民の方が、彼よりも家格が上ではないか。
彼は統治をする都合上、領民に納税してもらはねばならない。そこで家来が課税に赴くと、行く先々で名を名乗ることになる。すると、
「吾は高市太郎と申す」
等と百姓が名乗るのでした。
この高市の姓の由来は、古事記にかうあります、
天の菩比ノ命の子 建比良鳥ノ命.此は出雲國ノ造(中略).高市ノ縣主.蒲生ノ稻寸.三枝部ノ造等が祖なり.
それこそ何処の馬の骨とも知れぬ武士の家来が、百敷きに連なる御仁から、あべこべに課を徴れるものか。それに、己が格上であることを以て、武士に「生意気だ」と言って手向かふお百姓もあったさうです。
それでは地頭も何も務まらず、行政にならない。
それで一旦、お百姓には姓を伏せてもらふことにしたのでした。
きっと始めはうんと少なかった日本の人口でしたが、さうして次第に増えていった。古来わが国では、私たち百姓(国民)が大御宝(いちばん天皇が大切になさる対象のこと)とされる所以も、こゝにございます。
R8.2.11 ミソラ通信
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