ボツにされた記事の方が面白い

ボツになった記事などを掲載してゐます。よその媒体の取材中に、ゆくりなく逢着する情報は、媒体にとっては無価値だからこそ、この紙幅で至福の記事になる…かもです。

「平和主義」が招来する、何をしても許される世の中|浪曲「清水次郎長伝」が予言した未来

 今こゝに暴力を肯定するひとが、もし現れたなら、私たちは彼に如何なる反応をするか。

 顧みれば「善悪」は、いったい「善」なるものを名乗る者たちが拵へて、上意下達したのでした。下達された者たちもまた、誰かを悪にしたてゝおのれが善にならむとする。それ故たとへば、古事記には「善悪」の類は記されてゐません。

 さやうな対立軸を生じせしむるものは、古事記にはない。もしそれが旧約聖書などのやうに「善悪」を基調とするならば、スサノヲのミコトがあれませることで忽ちその世界観は崩壊するだらう。あるいは禍津日マガツビの神と直毘ナホビの神とがましますイニシヘの心もまた、そのとき何ら意味を成さなくなる。すなはち「善悪」はわが国のものではなかった。

 だから、今こゝに──あの神代から断絶した我々のまへに──暴力を肯定する者が、もし現れたなら、きっと私たちは彼を一様に軽蔑する。これは「軽蔑しなければいけない」ことになってゐる、と換言することもできるのでした。

 しかし皇国人みくにびとで、とりわけ己を男だと思ふ者は、いざとなれば大和魂やまとごゝろの刃を抜刀すべく、その鍛錬を日頃からするが宜し。また男子の心身の健康を保つ方法は、他にはありませぬ。もし謂はゆる平和主義を、あくまで私たちが国是とするのなら、それは皇国すめらみくにに仇なす者どものはかりごとでございます。彼らには無論、従順な日本人が好都合なのでした。

 かゝる平和主義が善であり、それが常識であるとき、こゝにリンクしました清水次郎長の物語は、漫然と聴いてゐては私たちの先祖の心が、わからないまゝになるのだらうと思ひます。でもセルバンデスの『ドン・キホーテ』を読むよりも、まづは己のおやたちの噺を聴きませんか。*1

 

 暴力はいけない。私たちはそれをよく承知してゐる。ひとを殺めたり傷つけたりすることが良いことなわけがない。それはあたりまへであり、今も昔も変はりません。

 たゞしこの清水次郎長伝を聴きますと、往時は実力の行使が、確実に暴戻を制してゐたことがよくわかります。換言すれば「暴力を絶対にふるはない」と決めたとき、これは返って「何をしても許される世の中になる」といふことでもある。それを私たちはこゝで確認してみたいと思ひます。

 たとへば私たちは、多くの同胞が外国の政府機関によって拉致されても、拉致された同胞を実力で救出しません。

 それは余人にあらず、実は私たち国民が政府に、加害者の北朝鮮に対して実力を行使することを許してゐないからであった。これは公的な世論調査と国政選挙の投票行動とで毎回確認されてゐる。もし被害者を救出できる実力と自決権を有した国の国民を、本件のやうに数十人も拉致したら、小国である北朝鮮の体制はどうなるか。それは直ぐに彼らにとって致命的な結果を招来します。

 もし皆さんの家族のひとりが拉致されたら、皆さんはどうするか。きっと何としても政府に家族を救出してほしいと望むでせう。交渉で取り返せないのなら実力を行使してでも、わが子の救出を望むはずです。しかし日本の国が拉致被害者を実力で救出することを、皆さんの暮らしてをられる地域や職場の人々はどう考へるか。

 おそらく多くのひとが「被害者を武力を使って救出するのはよくない」つまり「それは戦争になるから駄目だ。あくまで交渉で解決すべきだ」と考へてゐる。それで被害者の家族は何となく孤立し、結局泣き寝入りをすることになる。すなはち北朝鮮は日本人を拉致しても「日本人が戦争を放棄してゐる」ことによって、己の安全が担保されてゐる。だからこそ平然と拉致事件を起こすのでございます。

 現に北朝鮮による拉致の疑ひを否定できない、いちばん最近の失踪事件は、平成15年に起きた高見到さんの失踪事件であり、したがって今も「拉致事件は二度と発生しない」とは言ひ切れない状態なのです。*2

 実は自衛隊は今、北朝鮮に拉致された被害者たちを救出できる「スタンバイ!」の状態にあります。習志野で第1空挺団が毎年一般公開してゐる「降下訓練始め」は、もちろんファンサービスでやってゐるのではなくて、その姿勢を内外に示してゐるのでした。すでに被害者のどなたが北朝鮮の何処にをられるかも凡そ見当をつけてゐるさうです。しかし私たち国民が「被害者を救出しよう!」と意思表示することを拒んでゐる。

 すなはち世論が「横田めぐみさんたちを救出するな」と言ってゐるから私たちの政府は被害者を救出しない。だからこれに強い意志で臨む宰相が現れても救出できない。なぜなら私たちは「自分さへよければそれでよい」からです。

 すでに被害者は、拉致監禁されたまゝ人生の大半を過ごしてゐる。その消光した時間が、かゝる私たちの正体を表す何よりの証なのです。仇が核兵器を保有してゐることが懸念材料であれば、すぐに己も彼らと同様に自前の核兵器を保有して、その懸念を払へばよいではないか。核兵器不拡散条約の批准を継続するか否か、これもまた締約国の有権者次第なのだから。

 実は私たちは「核兵器を保有してゐる国同士は対等」であることを知ってゐます。なぜなら国際社会のみならず「ひとは己と対等でない相手とは交渉しない」ことを、実社会を通じて私たちは知ってゐるからです。それさへも私たちは拒んでゐる。現に私たちは毎夏めぐってくる原爆投下の日に、総理大臣に「核兵器廃絶」を国際社会に誓はせてゐる。律儀に毎年二回もこれを補完させてゐる。そしてそれを当然だと思ってゐる。

 もし尊厳といふものを私たちが知ってゐるのなら、救出をお願ひする立場上「遠慮がち」な被害者の家族以上に、一心不乱になって、被害者を救出せむとするでせう。すなはち私たちは被害者を救出する実力を持ってゐるのに、それを行使する意思を持ってゐないのでした。

 この曰く「平和主義」は意外、私たちの平穏な暮らしをも蝕んでゐます。いま日常的に接する人々が、平然と矩を越えてくるので、皆さんは戸惑った経験が少なからずあるのではないか。たとへば頃日は自然災害が頻々と起こりますので、役所の窓口や電話口で無礼な応対をされたり、理不尽な対応をされたりすることを、おそらく多くのひとが経験してゐる筈です。

 実は「応対する職員によって享受する行政サービスの内容が異なることがある」といふことは、法治ではなく人治がまかりとほってゐるのですから、これは公の秩序を乱す重大な事態です。さやうな蔑み(すはなち役人が罹災者を物乞ひのやうに扱ふこと)を受けることは、昔日には起こり得なかった。なぜなら、まづわが国のミツギ(課税)は、いったい災害への備へでした。だから賦役令によりますと、男性は保存がきく米を、女性は衣類を大蔵省に納めることが定まってゐた。ミツギとは次世代へと「御代を繋ぐ」といふ意味の古語でございます。だから納税者には等しく、災害に際しては国から保証を受ける資格があったのです。その上で、とりわけ男子は帯刀してゐましたので、たとへ上席といへども下僚に滅多なことは言へなかった。もし公然と誰かに罵られ、恥を見せられてもなほ抜刀しなければ「卑怯者」と仲間からも罵られた。そして忽ち信用と友達とをすっかり失ふことになった。だから容易にひとは矩を越えなかったのでございます。

 上のシリーズ動画を御視聴になればお分かりになるやうに、往時は暴力といへども然るべき道理が示されてあれば謂はゆる「お上の慈悲」といって、官憲も深い詮議立てをしなかった。いま挙げました賦役令の例やうに、およそ法とは慣習を明文化したものですから、慣習は法に先んじる。外国に類例がない今日の名誉毀損罪もこれに由来します。すなはち法の出る幕がないほど、常識が秩序を守ってゐたのでした。仇討ちにしても一定の条件を満たして奉行所に届出さへすれば、その実行を妨げる法はなかった。

 それでも尚「暴力は連鎖する、だから止めなければならない」と私たちは言ふだらう。しかしその「連鎖」の実例を小欄は知りません。

 中東がその例だとマスコミは言ひます。

 実はイスラエルをめぐる紛争は極めて奇異な例であって、かゝる例ではなかった。ある民族の国土を突如として占拠し、他の民族がそこに国家の樹立を宣言したなら、原住民は誰だって抗議します。しかもその異教徒は抵抗されると躊躇なく原住民を殺傷して黙らせる。その暴力の根拠は、

「旧約聖書に書いてあるからだ」

 と彼らはあくまで唱へる。

 要するに「従来のユダヤ人のやうに、パレスチナで異教徒に交じって──世界中で誰もがさうしてゐるやうに異教徒と相和す、とまではいはないまでも、ある程度妥協し合って──住居するのはもうやめて、そこに新たに国境線を引いてこれをイスラエルとし、海外のユダヤ人もまた挙ってイスラエルに帰るべし。これすなはちシオニズムなり」と言ふのでした。

 これのどこが「暴力の連鎖」なのだ。ときに正直に本音を言ふことを、かつての日本人は遠慮しなかった。それは──少なくとも日本の社会では──大抵のことは、誰かがまことを言へば解決するからでした。すなはちこれは狂信がもたらす暴力であって「暴力の連鎖」なぞといふ観念的な状況はどこにも見出せない。くだんの異民族が立ち退いてくれるまで、投石の抗議が止むわけはないのです。

 生まれた時から大人だったひとはない。はじめは誰だって子供だった。だから私たちは「およそ反撃した子供は二度といぢめられない」ことを知ってゐます。狂信といふ理性は、さやうな天然の秩序を破壊した。これは「平和主義」といふ理性も同様だった。実力を行使する人間の尊厳を放棄したなら、以上のやうに法も自衛隊も神さまも、誰も私たちを暴力から守ることはできないのです。

R8.5.3 ミソラ通信

 

*1 御存じ先代 広沢虎造の、この有名な次郎長伝はいったい何に取材した物語か。およそ清水次郎長の物語の原典は、ひろく黔首に膾炙してゐた次郎長の口伝を補完するかたちで著された『東海遊俠傳 一名次郎長物語』でございます。

 その出来を探れば後に明治大帝の侍従になった山岡鉄舟に逢着いたします。鉄舟は幕末の剣豪であり、彼の紹介で一時次郎長に望まれて次郎長の養子になった天田五郎といふひとがあった。このひとの父は磐城国は平藩 安藤対馬守の家来、甘田平太夫といふ侍であり、後に五郎は鉄舟の門下で国学をぶ。この天田五郎が次郎長の恩義に報いるために記したのが、この『東海遊侠伝』でございます。するとこれは又聞きのお噺なぞではない。今日的に謂ふなれば「現場に入って取材したドキュメンタリー」なのだから、道理で真に迫ってゐるわけです。
 御維新に伴って次郎長は在所に裨益する事業を起こし、本書が出版されたときには既に貸元ではなかった。にも関はらず彼はこのとき不条理にも、新政府の「賭博犯處分規則」が遡求して咎められ、逮捕されてゐた。本書が出版されたことで次郎長への同情と支持が全国に広がり、明治17年に捕縛された次郎長であったが、翌年の18年には釋放されたのでした。


*2  特定失踪者問題調査会「失踪者リスト」chosa-kai.jp|北朝鮮の工作員はこの「水中スクーター」を使ふなどして、漁船に偽装した工作船から日本の海岸に上陸します。それから土台人(仲間)の手引きで拉致したひとを袋に入れ、ゴムボートに乗せて母船に持ち帰ります。この写真は横浜みなとみらいにある工作船展示館で海上保安庁が展示してゐる実物です。

─────────

▼関連図書(ミツギについて|索引からご参照になれます)

古事記 全巻/注釈・本文(訓読)古事記伝 |旅先でもこれ一冊で足りて、児童の素読用にも適した体裁の、みんなの古事記。口語対訳として『古事記物語』も併載 ミソラ通信 www.amazon.co.jp

 

▼関連記事

misora-tsushin.hatenadiary.com