アドルフ・ヒトラーの生ひ立ちについては、本書と戦後流布してゐる通説とでは──けだし彼が総統だったからか──相当に異なってゐる。たゞし「どちらも多分に政治宣伝である *1」といふ点では一致してゐるのでした。このとき両者のいづれを支持するかといふことは、あまり意味がないし、こゝで小欄が扱はうとしてゐることとも、全然それは関係がない。なにしろ小欄はあくまで『我が鬪爭』東亜研究所/昭和17年版 *2 の書評でございます。
我が闘争 第一卷下 - 国立国会図書館デジタルコレクション
我が闘争 第二卷上 - 国立国会図書館デジタルコレクション
我が闘争 第二卷下 - 国立国会図書館デジタルコレクション
小説の小の字義は、小生、小社、小職などと言ひますやうに「私」であった。すなはち大祓、大嘗、大蔵などの、大宅(公)の意を表す大の字に対へた、これは小の字であった。だから「小説」の本義は「私の説」でございます。それは換言すれば「あくまでワタクシの視点で物語りする」創作文をいふのでした。本書は創作ではありませんので、いはゆる小説ではありませんが、
ある貧しい芸術家が一国の最高指導者になる、
その過程をワタクシの視点で記してあるといふ点では、興味深い「小説」かもしれません。つまり御存じ著者のアドルフ・ヒトラーは、いったい芸術家だった。だから彼の性根には表現する力があった。およそ表現とは己の考へを表現することではなかった。たゞ己を克服した者のみがワタクシの視点を以て、ものを表現することができる。だからこそ彼は文章が上手だったし、したがって彼の演説なども忽ち評判になった。さにあらざれば自我の押し売りになるだけであり、表現にはならない。たゞし彼の論述は、しばしばプラトンのやうに理性を過信してゐた。だから固陋に陥ることがあった。その生硬な筆致は、これが代筆でない証だった。
実際、彼は子供のころ画家になるつもりだった。長じては建築家を志す。だから政治家になるつもりなんて全然なかったし、当然さやうな発想とも──したがって指導者になるための陶冶とも──まったく無縁だった。
ところが十六歳になるまでに、彼は両親を亡くします。お母さんが長患ひだったから、すっかり家産も尽きてゐた。ゆゑに彼はまったく自力で生きてゆかなければならなくなった。それで国都のウィーンに出て、日雇ひなどの仕事をして口に糊します。
そもそも「芸術家になる」などと志望するのは、中産階級かそれ以上の階級の子弟がする発想であった。それでも芸術家といふのは「芸術家に生まれついてゐる」から、それは「職業」といふよりも、彼にとっては己の一本道のやうなものだった。だから彼はその日ぐらしをしながらも建築家になるための勉強を怠らなかった。一冊でも本を買へば、幾日も飢ゑなければならなかった。
まはりを見ると誰もが己と同じやうに飢ゑてゐた。幸せだった中産階級の暮らしを失って彼は、はじめて己の同胞が貧困のどん底にゐることを知った。
その現実を前にした彼には、もはや自己実現のために生きることなぞできなかった。この同胞たちを救ふにはどうしたらよいのか。つき詰めれば、芸術とは自己表現ではなくて、人々の心に滋養をもたらす利他的な術であった。だから彼がさやうに己の進路を改めたのは決して不自然ではなかった。幸ひウィーンは都会だったから、その貧困の原因を研究するための文物には事欠かなかった。かゝる原因を追求すれば、必ずユダヤ人の策動がそこにあった。すでに公党でユダヤ人の計略が招来する危機を訴へる政党もあった。
その芸術家気質が手伝ってか、彼は「外国人だから」ないし「異教徒だから」といふ根拠を以て、特定の人種を排斥する考へには、実は断じて不賛成だった。
そのヒトラーでさへも、自己保存のためなら何をしても許されると考へたのでした。すなはちドイツ人が生き残るためであれば、他者を犠牲にしてもよいと彼は考へるに至る。たゞし、それは彼のみならず、いはゆる一神教の世界観のなかで生まれ育った者の多くは、究極的には同様に──要するにダーウィンの進化論のやうに──それが摂理であると考へるのではないか。したがってユダヤ人もまた、さやうに発想する。すでにオーストリアの王朝はドイツに離反して、ユダヤ人に親和的だった。さらにドイツ人の労働者階級もまた、ユダヤ人のマルクシズムに傾倒しつゝあった。その結果、第一次世界大戦が開戦するとドイツの国民はゼネストを起こし、己の政府の施作を曰く「軍國主義!」と罵って、なんと自らこれを倒して連合国に降伏してしまった。だからオーストリアでもドイツでも、現に民族としてのドイツ人は追ひ詰められてゐた。すなはちヒトラーの闘争は、ゲルマン民族の存亡のために実行されたユダヤ人との闘争だった。
それは日本の神々やアミニズムの世界観のなかで生まれ育った私たちにとっては、まるで獣のごとき闘争にも見える。でもそれが彼らの世界の現実であった。このとき本書は、相当に私たち日本人が己を自覚するための一助になるのだらうと小欄は考へます。
その連合国の一角だった米国も、ヴェトナム戦争で同じ目に逢ふことになる。なぜなら、この地上にある国家と国民とを悉く勦滅することが、ヒトラーの仇敵の目的なのだから。それは換言すれば、あらゆる家庭とひとの幸福とを破壊することであった。すなはち「やらなければ自分がやられる」といふ、己を投影したその禽獣の掟を、彼らは固く信じてゐるのでした。さなきだに、ひとに労働をさせて己は何もせず、その宿木になってこれを所得にする。己の寄生によって寄主が滅びたなら、また別の寄主を探せばよい。あるいは彼が滅びざる程度に寄生すればよかった。すでに二千年に亘って、さうして成り上がってきた彼らであった。このとき彼らにとって、その父祖の教へは当然、この上なく有難い絶対の謨訓に違ひない。だからドイツ国民がヒトラーに与へた使命は、なにしろこの天敵を、ドイツ人の生活圏から攘ふことだった。
五年に亘るウィーンでの貧困生活と、これに続く一次大戦での従軍体験を、彼は曰く「実物教育」だったと書いてゐます。すなはち「思想」といふものが如何にして大衆や兵隊に浸透し、それが如何にして国家を瓦解させるか、その過程を、これほど仔細に亘って記したルポタージュは他に例がありません。
當時、ヨーロッパの諸國は既に殆んど總て經濟の獨立を失ひ、國際財閥の奴隷になつてゐた。ドイツも旣にさやうな惡い徴候を現しかけてゐたが、それでもまだ國民經濟を維持せんとして最も努め、國際金權の統制に服すること最も少かつたのはドイツだけであつた。これがドイツだけにあつて外國になかった長所の随一ともいふべきものであるが、勿論多分の危険を含む長所であつて、 世界大戦は主としてドイツにこの長所があつたために起きたのである。『我が鬪爭』第一卷下|第十章 ドイツ崩潰の原因
かくて、イギリス政府は、アメリカがヨーロッパの戦場でイギリスと共に戰つたに拘らず、日本とアメリカとの間に衝突の危険の現れた時に當つて、このアジアの同盟國と手を切ることに躊躇したのであつたが、其の間に於て國内のユダヤ系の新聞は擧つて日英同盟の繼續に反對したのである。
ノースクリフ系の新聞は一九一八年まではドイツを打倒せんとするイギリスの忠實な楯持であつた。それが今俄かに背信を敢てして勝手な方向に歩みだしたのである。どうしてそんなことが出來たか。ドイツが滅びて呉れることはイギリスの利益でなくて寧ろユダヤ人の利益であつた。それと同じく、日本が滅びて呉れることもイギリスの利益でなくて途法もないユダヤ帝國を夢みる徒輩の利益にほかならない。イギリスが世界に於ける己の地位を確保しようとして懸命になつてゐる間に、ユダヤ人はそのイギリスの地位を横取りしようとして狙つてゐるのである。『我が鬪爭』第二卷下|第十三章 世界戰後のドイツの同盟政策

映画『独裁者』The Great Dictator|1940年アメリカ映画 /監督・製作・脚本・主演:チャールズ・チャップリン
すると世界中でロードショー公開された、上の有名な映画が、ドイツを蚕食した異教徒が己自身をヒトラーに投影したプロパガンダであることが分かる。要するに、ひとの所為にする者が、いつも真犯人であった。
上のくだりの後で「ユダヤ人にとって日本は恐るべき国である」といふ有名な予言に至ります。さやうに本書には、彼が己自身の骨を軋ませながら書いた、実体験に基づいた警句が全編に亘って記されてゐるゆゑに、実は今日でも世界中の朝野で──とりわけ指導者のあひだで──暗黙のうちに普く読まれてゐる。もちろん習近平氏だって読んでゐる。さすがに誰もが知ってゐる図書を、全世界で発禁にするのは難しいから、さだめしそのカウンターとして、彼は今でもメディアで執拗に悪者にされてゐるのでした。その「作品」に痴れて、己を聖にみせるために積極的に彼を讒訴する者は、今もごまんとゐる。
また彼は「アーリア人種は人類のプロメティウスである」と訴へると同時に、これまでドイツ人が如何に愚かな国家経営をしてきたかを、本書で徹底して省察する。すなはちヒトラー曰く「種族の純潔」とは、異教徒に「寄生」されることを防ぐために──とりわけ大衆にそれを理解させるために──どうしても必要な所念になってゐた。
大衆を衆愚として理解し、その上で政治宣伝をせむとする発想は彼のみならず、外国では程度の差こそあれ、一様にさやう発想される。これは国民ひとり一人を指導者の器量に育てむとしたわが国の文化とは著しく相違します。現に戦後の日本の政治と産業に於ける本格的な指導者が、それぞれ田中角栄と松下幸之助だったやうに、小学校より上の学校には両者共に進学してゐません。回顧すれば両氏のみならず、豊臣秀吉や二宮尊徳のやうに──内村鑑三の『代表的日本人』ではありませんが──わが国では庶民から少なからず蓋世の指導者が出づる。たしかに外国では、これは「例がない」と断言しても過言でない。すると戦後教育を教授された世代からは、いまだ先達のやうな本格的な指導者が出てをらない事実から、まったく戦後わが国が──まるで自ら外堀を埋めるかのやうに──祖の教へに背き、外国に倣って今日に至ってゐることが分かります。
このときヒトラーがこゝに著述した、己の目で見た致命的な国難が、このまゝでは、わが国に同一の犯人によって直ぐにもたらされることは自明であり──現に彼が予言したとほりに──その傾向は誰の目にも著しく、すでに顕れてゐるのでした。だから既述のやうにどう対処するかは別にせよ、これに備へる吾人にとって、本書が極めて貴重なる参考書であることは間違ひありません。
先に彼は文章が上手いと書きましたが、これは多くのことを統ぶる能力、換言すれば概括すること、すなはちそれを分析してサマリーにする能力に長けてゐるといふことでもあります。なにしろ、これほど「一文一文を気を注けて読みたい」と読者に思はせる洋籍は、ヴィクトール・フランクルの『夜と霧』を除いては、なかなか他に例がございません。
およそ実態とかけ離れた、先天的な障害を持った人々に対する偏見を、こゝにヒトラーは書いてゐる。これもダーウィニズムに基づいた偏見だった。たゞし、つひ最近まで、さやうな謬見は世間にざらにあったことを、小欄は療育施設を四年に亘って取材してゐたことがあるから知ってゐる。わが世たれそ常ならむ。とりわけ人の心は移ろひ易かった。げに世論は頻々と変遷する。それは『種の起源』のやうな学説でさへ同様だった。だから彼が書いたことのいくつかは、今日の私たちの価値観では非常識きはまりないこと、これは割り引いて考へてやる必要がある。換言すれば私たちは、本書に不変の価値を同時に発見するだらう。決して大人が夢中になって読む作家ではないけれど、村上春樹の小説にデレク・ハートフィールドといふ小説家が登場します。この架空の小説家は主人公の「僕」が敬愛する作家であり、そのハートフィールドはヒトラーの肖像画を抱へて、ニューヨークの高層ビルから投身して自裁したのでした。さやうにヒトラーは、多くの男たちから共感された男でもありました。
考へてみれば、彼は「正しいこと」など、ひとつも言はうとはしなかった。たゞ彼は、ひたすら率直に話したのだった。
R8.6.8 ミソラ通信
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*1 とりわけ戦後になってヒトラーに付与された彼の伝記ないし人物評は、およそ伝記でも人物評でも一代記でもなく、要するに「馬鹿で臆病で狡猾な卑怯者」といふ悪罵であった。それでは全然「いかにして彼がドイツの指導者になったのか」を説明できないのでしたが、それでも彼の仇敵は一向かまはなかった。すなはち衆口金を鑠すと、マスメディアを支配する者たちは倨傲してゐるのでした。
*2 本書の序文には『我が闘争』のなかに、曰く「今日の日獨關係上に面白からぬ點」があり、それゆゑ時局柄その出版がためらはれた経緯が書いてあります。本書にはアーリア人がいかに優秀な人種であるか、その私説を著者が宛転させるくだりがございます。そのくだりでヒトラーは、たしかに日本人について悪く書いてゐる。曰く日本がいま科学も技術も進歩して興隆で、皆から注目されてゐるのは何故かといふと、それはアーリア人の文化に「便乗した」からであり、それ故もしアーリア人が地球上からゐなくなったら、日本人は文化の源泉を失って「再び睡眠状態に還るに違ひない」といふのでした。この「睡眠」とは、たぶん徳川時代のことでせうか。でも、それくらゐの自尊は誰だってやる。インド人だってエジプト人だってやる。同時にヒトラーのウィーンでの下積み時代には日露戦争があって、彼はその戦況を報じる新聞を必ず具に読んでゐた。その際いつも自分は日本を応援してゐたと彼は書いてゐます。さやうに日本人がしばしば、本書には登場する。この「民族と人種」の章でも、実は彼が具体的にアーリア人の比較対象にした人種は日本人だけだった。それ故この序文は杞憂だったと小欄は考へます。
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