こゝには背景、すなはち「いじめ」を生じさせる仕掛けがあった。この下にリンクいたしましたショート動画で、これを明察します。だから実に40年、私たちが続けてきた本件の小田原評定は、もうやめにしたい。
「いじめ」の背景と、これを確実に修正してみせた師範学校卒
今日的な謂はゆる「いじめ」は、実は少子化に伴って甚だしくなりました。*1
どの家庭にも子供があった昔日の日本では、よちよちと幼児がおもてへ歩き出すと、もうそこに子供たちの社会があった。それは隣の子、向ひの子、そしてその兄弟姉妹たちによって成る門牆の社会であり、この年齢差のある集団を根生ひにして児童たちは成長した。このとき二年に一度クラス替へがある学校の教室、これは児童たちにとって、かゝる門牆の社会に対して、かりそめの社会といふことになります。
だから往時は、教室ではお互ひが皆お客さんのやうであり、各々が適当な距離を保つことができた。万が一にも教室内で、
「あれは生意気ぢやけ、しごうちやれ」
といふやうな不穏な空気が出来ても、
「あれの近所には上級生の某ちやんが居るけ、仕返しされるわ」
と環境が暴力を抑止した。
たしかに同い年の集団である公教育の学級では子供たちはよく諍ひを起こしますが、くだんの門牆の社会や、かつての藩校や寺子屋ではさうはならなかった。どうしてかその因果は問はずとも、何しろ今日のやうな謂はゆる荒は生じなかったのでした。年長の子が年少の子を気にかけて面倒を看る、そしておのづと年少の子は年長の子を慕ふ、これもまた不変の、子供の稟質であった。
わが国で同じ年齢の児童で学級をつくって授業をするのは、御維新で洋式の学制を導入したことがその始まりでございます。それ以前の藩校や寺子屋、あるいは江戸市中の手習所などは、地域の児童が通ふ少人数の教室だったからその必要はなかった。しかし初等教育が義務教育になりますと、ひとりの教員で大勢を教へないと間に合ひませんから、さうはゆきません。マスプロダクトのやうに合理性が優先される。およそ私たちは自然の状態では同じ年齢で集団をつくることはありません。したがって、かゝる合理性によって生じる問題も、日本人には未知のものだった。これが将来、今日の「いじめ」の温床になるのでした。
では今日的な、被害者を自裁させるまで止まざる謂はゆる「いじめ」は、明治の御代に始まったのかといへば、さうではなかった。これが全国的に散見されるやうになったのは、昭和50年代の後半でした。小欄が己の足をつかって己の目で見てきたことを申せば、かゝる学制の変遷と「いじめ」との因果関係は、上の動画で取り上げました謂はゆる「吊し上げ」によって生じてゐました。そして少子化によって、じきに私たちの社会はその抑止力も失ふ。
これを牽制したのが師範学校を卒業された先生たちでした。*2
あの師範たちを、今どれくらゐのひとが覚えてゐるでせうか。最後の卒業生は、たしか平成2年まで現役でをられたはずだ。たとへば師範たちにとって「お預かりしてゐる生徒に手をあげる」等といふことは論外だった。師範の矜持がそれを許さなかった。生徒を打擲する教員なぞは、師範学校卒にはゐなかったのです。すなはち体罰は戦後になって生じた悪癖であった。それでゐて教壇に立って対面する児童全員の声を、あの師範たちはまるで聖徳太子のやうに把握し、大声を出さなくても教室を完全に制御することができた。
いったい日本の師範教育は、数千年に亘る知見の蓄積の成果だった。それを何故はじめから問題が顕在化してゐた米国の制を範とした免許制に改める必要があったのか。いづれ日本の児童も米国の児童のやうに、自動小銃で同級生たちを掃射するやうになるのか。さやうに私たちは祖の教へに背いた制をよしとして、今この最悪の成行を漫然と眺めてゐます。先人の学力とその成果と、今日の私たちのそれとを比較すれば、伝統的な指導方法が如何に優れてゐたか、それは誰の目にも明らかなはずなのに。これは朝鮮半島と台湾でも同様でした。だから多くのひとが「戦前戦中の思ひ出」を話す際に「優しくて素敵だった」と日本人の師範、すなはち小学校の先生の話をする。
なにしろ今は「吊し上げ」といふ恐怖と憎悪とによって教室を制御せむとする教員が実際にゐる。そして知ってゐてこれを放任する傾向が教職員の職場にはある。諍ふ心ではなく、生得であるところの好い性質を、往時のやうに児童から引き出してこそ教育ではないか。一度できたことは、必ず何度でもできるものです。
R8.5.5 ミソラ通信
▼ミソラ通信がポスト致しました関連動画です
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発生件数
いじめ認知件数 過去最多 2024年|一般社団法人 全国PTA連絡協議会
出生数の推移(上と比較すべき数字)
図表1-1-7 出生数、合計特殊出生率の推移|令和2年版厚生労働白書-令和時代の社会保障と働き方を考える-|厚生労働省
*2 師範学校とは、教員を養成する学校でございます。旧制の時代は、この師範学校を卒業しないと教員になれませんでした。上の動画では「たてわり授業」を師範学校卒の先生たちの遺産として取り上げました。たとへば剣術を知らざるひとが一振の名刀を手に入れても、事変に際しては何の役にも立たない。唯それを床間に飾っておくことしかできないやうに、いかに優れた制度であっても、運用思想を知らざる者には、これを充分に運用することはできないのでした。この縦割り授業はその一例になってほしくない、さういふ授業でございます。
旧制について概説しますと、すごく長くなりますので、こゝには読者がご自分でお調べになっても、たぶんどこにも書いてゐないことだけを注釈いたします。大東亜戦争が終って、わが国が進駐軍に占領されますと、当局は日本国の恒久的な発展に欠かせない制度を悉く廃止しました。彼らは日本を打倒しに来たのですから当然です。それで師範学校も、この占領中になくなりました。
自分たちが幼少期だった占領中のことを「あの頃はよかった」と、進駐軍や彼らによってもたらされたアメリカ文化を殊更に懐かしむ「団塊の世代」といふ世代が、わが国にはゐます。それはそれで結構ですが、実はその後の世代も概ね、今日に至っても、その「団塊の世代」と同質の感覚を以て生きてゐるのでした。この師範学校について今なにを閲しても、要するに「師範学校は己がGHQによって廃止されたことを喜んでいる。米国に感謝している」としか書いてゐません。誰が書いたか知らないけれど、現に私たちはそれを不問にしてゐるのでした。まづそれは筆致からして懐疑すべきではないか。なぜといって「いったい誰が」それに賛成したのか、悉皆これらは不明の説ではないか。いったい主権を失った国民の誰が、どうやってそれに「賛成」したといふのだらうか。