今日エジプトのピラミッドは「王の権力の誇示のために作られた」と、概ね理解されてゐるやうでございます。たゞし、誰もタイムマシンに乗って古代を見てきたわけではありませんので、実はそれは後世の人々がさう解釈してゐるにすぎないのでした。
では、わが国の古墳はどうか。これも上述の洋学の解釈を演繹して、
「さだめしピラミッド等と同様の理由でつくられたのだらう」
と、理解されてゐます。要するに、その解釈には、実はさしたる根拠はないのでした。その背景を小欄では確認いたします。すると、むつかしい税制の仕組みを理解せずとも「わが国にとって税とは何か」といふことが自づと分かる。
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まづ、上の通説には全然わが国の古事と開拓の実情とが反映されてゐない。たゞし古事にかうございます。まづ古事記の水垣宮巻に、
この王の時に、始めて陵に人垣を立てたり。
とありまして、さらに外宮儀式帳にも、
人垣仕ヘ奉ル内人等、并ニ妻子等總六十人。
と、その人身御供にされたひとの、人数が記載されてゐます。
すなはち倭日子命を葬る時に、その陵に生人を多く人垣に立埋めたのでした。亦その仔細について、日本書紀垂仁巻にかうございます、
天皇ノ母弟倭彦命薨。十一月丙申朔丁酉、倭彦命ヲ身狹桃花鳥坂ニ葬。於是近習者ヲ集ヘテ、悉ニ生而陵域ニ埋ミ立ツ。数日不死、晝夜ニ泣吟、遂ニ死テ、爛臭、犬烏聚噉。天皇此ノ泣吟之声ヲ聞シテ、心有悲傷、群卿ニ詔ハク、「夫以生所愛ヲ亡者ニ殉ハ令ルハ、是甚傷。其ハ雖古風、非良何従。今ヨリ以後、議テ殉止」ト曰ヒキ。
怖い話ですが、この古事だけを見れば、たしかに「古墳は王の権力を誇示するために作られた」と解釈することができます。すると上の引用のやうに天皇がこれを甚く悲しみあそばし、止めよと詔はれた事実や状況は、いったいどう理解すればよいのか。
これは要するに、乃木大将夫妻のごと自ら殉死する古風ありといへども、多くのひとを生き埋めにして、人垣にしたる例は「初めて」であり、天皇は今後もう二度とないやうに「やめてむ」と詔はれたのでした。
さやうに古事記の後半のくだりには、大陸の文化の影響が顕れはじめます。そのイニシヘ同様、今日も私たちは、次に示しますやうに、およそ漢籍がさかしらで荒誕であるにも関はらず、その例外でない魏志倭人伝を、何故かことさらに有難がる。わが国の古文にあらざる魏志倭人伝を、いま私たちは古事記よりも尊重してゐるのでございます。古事記には創作でなく、ひたすらマコトが記してあることは、この下にリンクした記事で委く例を挙げたことがあります。
だから漢籍をありがたがる私たちの「学問」は、曰く「卑弥呼」が、わが国の開祖だったと言ふのでした。*1
それ故に、これが今日「大和朝廷」「魏国の後楯に支えられたヤマト政権」等と、わが国の古事にない「王朝」を創作して学問では理解されてゐます。要するに「およそ日本神話は権威付けのための創作であり、わが国の起源は征服王朝だった」といふのでした。
この下にリンクいたしました記事で確認したやうに、さやうに漢籍で彼我の関係を、主従関係で説明してゐるときは、大概あべこべに、彼が日本に朝貢してゐた、すなはち彼が日本に貢物をしてゐたのでした。でも今日の学問は殊更にその事実を忌避し、あくまで彼の、その強弁を補完せむとする。
これは「学問」とはいひながら甚だしく、かゝる「学問」は、たとへば「日本だけではなく世界の人が理解できる説明が求められる*2」等といふのでした。これは要するに「中国と韓国が納得する歴史を書け」といふのですが、およそ学問の嗜みがある者は、わが国の文物を、彼の文化にある概念で説明しても、絶対に納得しない。なぜなら彼は、およそ文物には、それを産出した文化に応じた独自の概念があることを知ってゐるからでした。換言すれば学問とはその特有の概念を識ることであり、それが人民をして初めて偏狭から解放せしむるのでございます。なぜ私たちの方から、その真の学問を曲げてまで彼に合はせてやる必要があるのか、さっぱり分からない。
しかし以上の瞞着には──わが国の古墳がいかにして出来たのかを、己の目で見たなら一目瞭然──もう二度と騙されることはない。次のやうに、タイムマシンはまだ、私たちには必要なかった。
平成のはじめ頃、公共事業通信といふ媒体の仕事で、小欄は全国の圃場整備や、治水および灌漑事業の現場を取材してゐました。圃場とは田んぼのことであり、治水とは洪水を防ぐために河水を治めることでございます。
皇祖の神々の古墳は、天然の山をそのまゝ陵にしてありますが、後世の為政者の古墳はしばしば平野に、すなはち圃場に忽然として現れる。
農地開拓や圃場整備をしますと、残土といって大量の土砂が出ます。なぜなら圃場をつくるといふことは、すなはち平地をつくるといふことだからです。今は重機がありますので、残土をブルドーザーで集めて、よそへダンプカーで容易に排除できる。しかし人力にすべて頼ってゐたイニシヘはこれが容易でない。では私たちの祖たちはどうしたのか。
往時は、残土を処分しなかったのでした。
ひろい人工の平野をつくって田園にするのはいゝけれど、実は谷間にあらざる、山野から離れた平野といふものは旱魃に弱い。そこで祖たちは、その残土を一箇所に集めて、これが風雨で崩れざるやう葺石で固めるなどして小山を拵へたのでした。さすれば忽ちそこで植生の遷移がはじまって、じきに天然の山と見紛ふ山が出来ます。仁徳さまくらゐの標高にすれば、周辺の日当たりも良好だった。山は海綿のやうに雨水を溜めてくれるので、その傍に必ず池ができます。その池から圃場に引水するのでございます。
その残土の山が今日「古墳」と指呼されてゐるのでした。すなはち、くだんの開拓事業を普請なさった天皇などを、皆で記念し奉りまして、その人工の山にお祀りしてゐるのでございます。だから謂はゆる前方後円墳の向きは、日陰が最小になるやうに工夫してある。それゆゑ全国で農地開拓が進捗して、わが国の津々浦々に田園の風景が広がった頃、謂はゆる古墳時代も終はりました。当然これらの陵の辺に住まふ、小欄が出張先で邂逅した人々の多くは、かゝる陵の能を知ってゐました。
古墳の大半は国や自治体が所有・管理するものではございません。だから日本には入会権といふものがあり、現に多くの古墳はこの入会権を以て農家に利用されてゐます。およそ法とは慣習を明文化したものですが、この入会権などはその好例でございます。これは村落の住民が、一定の山林、原野、池沼などを共同して収益し得る権利であり、わが国古来の地方慣習によりて発達したものでした。この事実も本件の「征服王朝」説などの通説と撞着することであり、冒頭の洋学の演繹では説明ができません。
また特に誰もお祀りしてゐない無名の「山」すなはち眺望すると一見チャーハンのやうな、古墳のやうで古墳でない、盛り土みたいな山も全国のあちこちにある。
では何故あくまで「王の権力の誇示のために、民衆に苦役させてつくらせた」といふ説が、かうして広く信じられてゐるのか。実際「なぜ古墳は作られたか」と今Googleで検索してみますと、
「古墳は、当時の権力者が自身の力と支配力を示すためのシンボルとして作られました。」
とAIが回答します。また念のため少し言葉を変へて「古墳はなぜつくられたか」と検索しても、
「古墳は、3世紀後半から7世紀にかけて、主に各地の首長や豪族、大和王権の支配者層が自らの権力・威力を示すために築いた墓(葬儀の場)です。巨大な墳丘を築くことで、富と支配力を誇示し、死後も霊魂を守り祀る場所としての役割を果たしていました。」
などと、まるでタイムマシンで行って見てきたみたいにAIが答へる。
これはAIが間違へたのではありません。久しく義務教育の教科書も例外なく、さやう説いてゐる。現に外国では文化は違っても、その社会は一様に「主人と使用人」によって成ってゐることを、以前この下にリンクした記事で確認いたしました。すると洋学が投影されて日本史が解釈されてゐることが、上の通説から分かります。
すなはちその真偽以前に、私たちは自分たちが何者であるかを知らないのでした。すなはち祖たちが如何にしてわが国をつくったかを知らないのでした。なぜなら大概「知りたい」とも思はないからであった。およそ人が、未来に向かって生きてゆく上で、いちばん大事な自分たちの起源を、げに私たちは知りたいとも思はない。何となれば私たちは卑しい権威主義者であり「さやうなことは偉い学者に任せておけばよろしい」と考へてゐるからでした。だから己の先祖が「夷同様に人間の尊厳を知らざる野蛮人だった」と、かうして誰かに誣いられ、貶まれてゐることにさへ、私たちは気が注かない。さやうに己の起源が悪意で書き換へられても、まるで他人事だ。ましてや頃日はエジプトの王墓の通説でさへ「誤りではないか」と見直されてゐるのに、このわが古代史の通説はあまりにも非科学的であった。非科学的とは、この後でお示しする古事とも、わが国の農政の実情とも、相当に矛盾してゐるといふことでございます。かゝる通説は上述のやうに小欄が己の足と目とをつかって見てきた事実とはまるで異なる、途方もない嘘なのでした。
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この謬見の発生源は、さやうに「学問」であった。かゝる学問とは、専門分野の専門性に宿る権威であった。その権威は体制が付与する。これを論語に曰く、
「達巷黨の人曰く、大なるかな孔子、博く學び而して名を成すところ無し。」
これは達巷党の人が、浪人してゐる孔子を褒めたのか、あるいは皮肉を言ったのか知らむ。なにしろ現に孔子やその門人たちが、なかなか官吏に登用されず、相当に冷飯を喰はされた事情を背景に論語は著されてゐます。幸か不幸か権威とは無縁なれど、わが河原者の業界では「広く浅くものを識る」ことが肝要とされる。それは、すべての事象は決して孤立することなく連関してゐるから、広く知れば知るほど、自づと個々の事象の実体を深く識ることになるからでした。すると「専門分野で掘り下げても、ものを識るは難し」といふことが分かる。すなはち、この「達巷黨の人曰く」のくだりは、まさに道理を説いてゐるやうでございます。ゆゑに、このくだりは次のやうに続きます、
「子これを聞き、門弟子に謂ひて曰く、吾は何を執らんか、御を執らんか、射を執らんか。吾は御を執らん。」
この御の字義は「御者」や「制御」等といふやうに「あやつる」でございます。射的のごと、その分野の狙ひが定ってゐる専門職は、ひとに使はれるので就職の口には不自由しませんが、あへて孔子は「御を執らん」と決めなさったやうです。
さらに専門家は、己の雇用主や依頼主の都合に合はせて結論を出す必要がある。換言すれば権威による説得力を醸すから所得になる。だから専門分野もたいへん結構ですが、いま私たち日本人がそれ一辺倒であるとすれば「日本人全体が誰かの使用人になってしまった」と換言できるかもしれません。当然この権威主義は本件のみならず、多岐に亘ります。
些細なことであっても、僻事によって人は大きに道を誤り、ひいては国をも誤る。このまゝ──曲学阿世の徒のまゝ──私たちは道を誤り続けるのか。古事記の神代二之巻にかうございます、
是に天神 諸の命以て、伊邪那岐ノ命 伊邪那美ノ命 二柱の神に
「このタヾヨヘル國を修理り固め成せ」
と詔りごちて、天ノ沼矛を賜ひて、言依さしたまひき。
イザナギ、イザナミのミコトは、私たちの最初の男女でございます。すなはちこの詔は将来の全日本人に詔はれたのでした。
それが如何に今日の権威、すなはち米国曰く「民主主義」にとって不都合であらうとも、まさに皇国は、いま私たちが己の目で見るとほり、神々と人々とが手を携へて修理り固めた国であり、またこれからも修理り固め成す国でございます。謂はゞ神々が設へた土壌に、人々の手が入って、健やかに豊かに、国土は完成する。
それをマツリゴトといひますが、では農政と今日いはれてゐるこのマツリゴト、すなはち開拓や圃場整備や治水事業などは、昔は誰が発議して、いかなる指揮系統で施行されたのか。そのマツリゴトと今日の政体であるデモクラシーとを、この中段にリンクしたショート動画や、この下にリンクした記事で比較してみました。実は本件のやうな荒誕な通説を平気で信じてしまふ私たちは、さやう信じることで、上記のごとき「学問」を騙る売国奴共と一緒になって、己の祖を「蛮族」と暗に指呼し、彼の「ヤマト朝廷」説を支持してゐる。何故この通説を漫然と受け入れることが、彼を支持することになるのか。
犯罪被害者は、実は加害者よりも、何もせずにその事件をまはりで見てゐた傍観者を強く恨む。なぜなら「天下から悪党がゐなくなることはない」ことを被害者は知ってゐるからでございます。この事実が、およそ通説が実は誰かの恣意的な説にあらざる証左ではないか。すなはち、かゝる説は、権威主義の私たちがこれを支持することによって初めて通説になる。この誰かの言ふことや皆の言ふことを、そのまゝ己の考へにしてしまふ私たちの軽薄さは、いったい何から生じるのか。それをGHQだの戦後教育だのマスコミだの政治だのと、ひとの所為して済ませて、いつまでも自らは何もしない私たちは、あきらかに我が祖父母たちの世代や、小欄が知ってゐる戦中派や、古事で邂逅する先達とは異質であった。なにしろ、こゝに本件のやうな祖国に仇なす途方もない嘘を、一億こぞって漫然と受け入れ、これを平気で信じてしまひ、それを児童に当然のやうに教へる私たちが、いかに恥を知らざる、すなはち知性を失った、それこそ野蛮人であるかが、祖たちとの比較で確認できるのではないでせうか。
上の記事では、私たち日本人にとって税とは何かといふことも、自づと確認することになります。換言すれば、ひとことで税といっても、それはその出自と文化的背景とによって、自づと概念と機能とがぜんぜん違ってくる。いったい本件は何ひとつ観念的な話ではないのでした。すなはち野蛮人に落魄した、その精神の薄弱さによって、必ず私たちは祖国の正統性と、その正統性を根拠にした主権とを喪失し、その結果、消費税法などの瞞着の税制が施行され、次第に重税が、わが国の立国を支へる国民や中小企業に強いられるやうになる。そして多くが税金を滞納し、銀行から借金をしてこれを支払ふ成行になる。いま実際さうなってゐるではないか。金融機関が儲かっても、ひとつも国益にはならない。さうして、私たちもグローバリストの「使用人」になる。その原因は単純明快、上述のやうに私たち国民が「国家とは何か」「皇国とは何か」といふことに全く無関心であるがゆゑに、傀儡供にそこにつけこまれるからでした。
わが国の古墳がなぜつくられたのか、その真実は、いま岐路に立つ私たちのために、祖たちが残してくれた道標でもあります。
R8.5.11 ミソラ通信
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*1 しばしば私たちは下のリンク先のやうな新聞記事を目にしますが、まるで左翼用語の例文のみたいなこの筆致を、今や誰も懐疑しなくなりました。
*2
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