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ボツになった記事などを掲載してゐます。よその媒体の取材中に、ゆくりなく逢着する情報は、媒体にとっては無価値だからこそ、この紙幅で至福の記事になる…かもです。

なぜロシアは民間人を攻撃するのか|勤皇派が親米派に回答する

 ウクライナ戦争では開戦の劈頭から、ロシア軍は民間人をも攻撃対象にしてゐます。これを殊更に親米派は非難するけれど、このとき彼は己が縋る米国もまた、わが国の民間人を攻撃して対日戦に戦勝した歴史的事実を不問にしてゐる。小欄では「昔も今も、その国家の性質キャラクターは概ね変はらない」摂理を確認してみたいと思ひます。なにしろ己の祖父母が的にされたといふのに、卑屈にも彼らはこれを寛恕し、そのワシントンDCの政府を支持して「ゼレンスキー政権をもっと積極的に支援しろ」「もっとロシアを締め上げろ」と、しきりに己の政府に訴へる。

 一方で先の大戦でもそれ以前の戦争でも、皇軍が無辜を攻撃対象にしたことは、一度たりともありません。さう断言できることは、世界史で類例のないことでございます。それは皇軍が正義の味方だったからなのか。さう申してしまへばそれぎりですが、その実態は「野蛮を克服した国民」であるか否かであった(わが国の肇国は、ウシハク者どもを膺懲することでもあったことを、以前この下にリンクいたしました記事で確認しました)。これを克服してゐないから、あの夷は「卑怯」といふ言葉を知らなかった。あるいは知ってゐたとしても、それは「聞いたことがある」だけであり、あまり彼にとっては意味のない言葉であった。換言すれば、彼は道徳については知ってゐるふりをしてゐるだけであり、実は全然それを知らなかった。ゆゑに彼は「勝てば官軍」と判断して、当然「何をしても許される」と考へる。

 ましてやウクライナはロシア人にとって同胞スラヴ民族の国土であった。そこに米国の工作によって親米政権が出来たことを、かりそめにもウクライナ国民が支持したり、あるいは暗にそれを許して、その政権を自ら打倒せざることを、ロシアの指導者は絶対に許すわけにはゆかないのでした。なぜならロシアにとって、これは明らかに国家の存立危機事態だからでございます。かつて第一次世界大戦でドイツが同じ目に遭った。彼は戦闘で敗北したのではなかった。隣国オーストリアの内情と、その内部からの食ひ破り、すなはち──仇敵に煽動された国民が蜂起した──曰く「革命」によって潰滅した。そして連合国が望む、曰く「共和国」になった。たゞ「民主化」と唱へさへすれば、どこにでも米国がその傀儡政府を拵へることが許されるのなら、いかなる国家も、実は存続できないのでした。

 いま私たち日本人もまた、現にワシントンDCの政府や、親米のメディアや青山繁晴議員*などの政治家が「民主主義!」と唱へると、まるで葵紋を見せられた村人のやうにひれ伏してしまふ。要するに呼吸を乱して何も言へなくなる。この戦後一貫して唱へられてきた「民主主義!」とは何なのか、このとき少なくともそれが「民主主義」では全然なかったことが分かる。げに戦前の方が、あきらかに日本人は自由だった。たとへば、その学制など見れば、それは一目瞭然であった。もし嘘だと言ふならタイムマシンに乗って、往時の児童たちが一人前になるまでの進路を見て来ればよいではないか。今日の私たちやうに、外国の国力を支へる「使用人」になる者は誰一人ゐないから。

 だから峻烈に、この謀反にプーチン大統領は臨む他なかった。だからといって何をしても許されるのか。いかに私たち日本人がそれに不同意と雖も「自己保存のためであれば何をしても許される」それが人類の現実でございます。それ以外に、ひとが禽獣としてでなく、人として生き残る方法は──少なくとも彼らにとって──他にないのでした。

R8.5.18  ミソラ通信

▼ミソラ通信がポストいたしました関連動画です

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* 彼ほど頻々と「アメリカは民主主義の国!」と述べる政治家を、小欄は他に知りません。しかし実際は米国で生まれ育った者で米国が民主主義の国だと実感してゐる者は誰一人ゐない、さう言っても少しも過言ではないのでした。とりわけ南部の国民はワシントンDCの、曰く「猶太人の傀儡政府!」をいつか打倒するために、その真の独立戦争を戦ふために、銃を捨てないのであった。だから米国では銃規制が未だに出来ないのでございます。たゞし、この曰く「民主主義!」を葵紋にしてゐるのは、彼のやうに日本人でありながら米兵を「同僚colleague!」と呼ぶ政治家や、親米のマスメディアではなかった。大切な皇統の父系の維持を訴へた『誰があなたを護るのか』の著者である青山議員の、その思想にさへ、ほとんどわが国体との親和性がないことに、もはや私たち有権者が気が注かなくなってゐること、それが現状の傀儡国家の実態なのでした。現に私たちは「非科学的で古臭い」と内心思ってゐる古事記と己との距離を置いて久しく、ゆゑに下情上達の君民の関係を今や知らぬ。すなはち実は今も縁の下で私たちの暮らしを支へてゐる、その肇国以来のマツリゴトの姿を知らざる故に、もはや国体を──いゝえ、その他いっさいのものを──今や私たちは誰とも共有できない。換言すれば、かゝる国体にこそ、心からの他者との通交と、どこまでも伝統が補完する、正真正銘の自由と温もりとがあったことを知らない。その国体護持のために、わが祖父たちは自ら御盾になったのに、いま私たちにとって、その国体は「聞いたことがある」コトバでしかなかった。だから今や「国民が主人公」「自民党ではなくて自由民主党」といふ、ふと彼の口をついて出る言葉を誰も「怖い」とは思はなくなってゐます。かゝるマツリゴトの委細につきましては、この下にリンクいたしました、小欄がポストしたショート動画、ないし関連記事をご参照ください。
 この生意気な葵紋、すなはちワシントンDC曰く「民主主義!」を大衆に誇示するとき青山議員は、わが国の古事「民の竈」を騙ることを常としてゐます。あるいは今どき葵紋はもう古いから、畏き菊の御紋を出してみせるのでせうか。なにしろ、よく彼はさやうに威を借る。たとへば「昭和天皇は対米開戦に反対だった」と私論を述べる際に必ず付言する。このときそれが違勅であること(御詔勅とたがふこと)が、深刻な問題なのではなかった。もしそれが真実だとしても、これは藤原氏や平氏がかつて弄した不敬であり、イニシヘの宿禰が最も忌みしたことなのでした。なぜなら近侍の者が「これが御意でござる」「上意にございまする」と言へば、誰もが彼の言に従ふ成行になるからでございます。もし私たちが本当に「民の竈」と、この曰く「民主主義!」すなはち「愚集を踊らせる」ための、この邪沙汰とを同義ないし同質と理解してゐるなら、従諛と祖国に対する冒涜はこゝに極まることになる。しかも青山議員は、これを騙るとき「仁徳天皇は実在しないかもしれませんが」と、三国人や売国奴供の古事記に対する非科学的な異議、その強弁に同調してみせることさへある。それもこれも、この荒誕なる沙汰は、私たちが実は古事記を貶んでゐるからこそ生じるのでした。