街頭で外国人問題の是正を訴へる有志があると、そこに必ず横訛の英語で「人種差別主義者!」と有志を罵る者共が参集します。
これがボランティアではなく動員であること、また彼らがわが同胞でないことは、今更あらためて剔抉するまでもないことでございます。その挙措を観察すれば、なるほど彼らが、すでに私たちの同胞でないことは明らかなのだから。だからといって、それは推し量りでいふのではなかった。それゆゑの純粋な敵意であって、すなはち彼らの表現は公論に類するものでは全然なかった。またウェブ上でも彼らは、皇族を悪罵するなど様々な書き込みをしてゐる。これも無論わが同胞が書き込みをしてゐるのではなかった。では姿が見えないウェブ上で、いかにしてコメント主の正体を見破るのか。実はこれは次の、僅か二つの特徴から、一見して確認することができます。
1. 私たち日本人に対して同胞意識がなく、多くの場合、強い敵愾心を表す。
2. 国語力が15歳で止まってゐる。
この2については、およそ彼らは16歳から朝鮮高校に通ひますので、どうしてもその言語に顕れる。すなはち読解力と筆致にこれは必ず顕れるので、一読して分かります。また朝鮮高校は「高校」とは名ばかりで、もはら反日教育をしてゐますので自づと私たちに対して攻撃的になり、当然1になって顕れる。この二つの特徴の両方に該当するとき、概ね彼の正体が分かる。
かうして忽ち正体が分かると、その扱ひが違ってくるはずです。
たゞし今日の私たちに、はたして彼らを毅然と咎める資格があるだらうか。
今やわが同胞にも、同胞意識が稀薄な者が少なからずある。そして同胞に牙を向くのだから、くだんの在日朝鮮人は疎か、これは畜生と同等ではないか。さやうに私たちが偏頗に陥らざるためにも、今日は本件の背景をあらためて確認してみませんか。
サベツとは何か
掲載先の迷惑にならないやうに、小欄は国名を伏せて書きます。
皆から頻々と姿色を褒められる女の子が、旅行の話題を潮に隣国の公用語の日常会話を披露した。
なかなか流暢なものだな。
さう感心してゐる場合ではなかったので、かう水を差しました。
「とりわけ君のやうな芳紀の女性は、強姦の対象になるから、不用意に某国語なぞ口にせぬがよい」
すると、その場の潮が引いた。何となれば、それは謂はゆるサベツだからだ。
まさしく小欄は「サベツ発言」をしたのだった。
たゞし「サベツはひとの命や財産を守るためには、ある程度必要なものだ」といふことが、次のことから分かる。
その某国人に、互ひに「刎頸の友!」と自認して憚らぬ友が、小欄には二人ある。二人ともかつての学友であり、彼らの生家に泊めてもらったこともあった。だから小欄は彼らの正体を知悉してゐる。
「およそ某国人の男は、己の母とハラカラ以外の女を、それが美人で成行が許すならば、力尽くで恣にしても構はないと思ってゐる」
この巷説は事実であった。
たとへば叔父が姪を陵辱することは充分にあり得ることだといふことを、小欄は知ってゐます。ハラカラとは、いふまでもなく異母兄弟姉妹に向かへていふ言ですが、だから「己の母とハラカラ以外」と申したのでした。したがって──たゞ悪意を以て報道されないだけであって──日本女性の被害も顕著にある。
現にわが国との強姦件数を比較すると、人口10万人あたりの発生件数は、わが国の年間5件に対して、某国は46件と、数字にも著しい差が顕れてゐます。それでも各国と比較すると、それはまづまづ平均的な数字だ *1 。たゞし強姦が茶飯事の国では、女は訴へない。
それから実入があると、彼らの多くはまづ妓女を買ひに行く。その習慣は中世の王朝がはじめた公娼制度に起源があった。すなはち彼らに言はせれば、それは「国の伝統的な事業」であり、買春は立派な某国人の男にとって、当然の嗜みであった。国是ゆゑに妓女たちは、およそ人間の尊厳とは無縁の生活をしてゐる。彼女たちと比較すると、わが国の風俗嬢は、まるで信仰の対象のやうだ。要するに「およそ男が女をどう見るか」その女性の扱ひが、わが国と某国とではぜんぜん異なるのでございます。
だから服装も化粧も、ぜんぜん日本女性と某国人女性では、その趣向が異なる。前者は自分が「カワイイ」と思ふまゝにするし、後者は生活のために、男に媚びるやうにする。この比較文化の分りやすい例が、渋谷のガングロだった。たゞしこれは coquettish(媚態)といって某国人のみならず、わが国以外の国の女性の多くは同様にする。こゝに女性が素のまゝで、いちばん世界中で楽に生きられる、いかに幸福な国を祖たちが私たちに残してくれたかを、けだし垣間見ることができる。
すべて他国と地続きで国境を接してゐる国々では「サベツはいけない」と、公的には言ひつゝも、庶民はしっかりと、かゝるサベツ感情を持ってゐる。欧米などで暮らしてみますと、その本音と建前があからさまにあることがよく分かる。
日本人の小欄と親しくなると、彼らは款然、移民や発展途上国や隣国の国民に対するサベツ感情を隠さずに、それをそっと打ち明けるのでした。それは自分の生活や家族の命を守るための、謂はゞ生活の知恵であった。したがってそれは日本人が抽象的に──ないしステレオタイプに──考へるやうな「偏見」の類では決してなかった。だから嫌味もない。おもてに出ると、彼らは移民と笑って社交辞令を交はしてゐる。
移民になりたくてなる者はない。
とりわけ近年G7諸国を襲った「大量移民」は、わが国でもあった例の「クルド人が来るど」の騒動と同様、移民先の国民生活を悉皆破綻させる目的で実行されてゐた。これを「時代の潮流」として私たちに諦めさせるために、各国で同時進行させる必要があった。亦このごろ施行されたLGBT理解増進法も同質の施作であったことを私たちは覚えてゐる。この曰く「人権宣言」に端を発する「権利拡大」の奸計について仔細に亘って書かれた本が、実は発禁になってゐます。その書籍は戦前にわが国で発行されました。発禁にしたのはGHQだった。もちろん著者は預言者ではなかった。しかし彼が示した文献とそのサマリーは、未来のことを悉く正確に言ひ当てた。それがこの壟断の陰謀が真実である何よりの証拠だった。もし私たちの言論を「陰謀論」と揶揄する者があれば、この国立国会図書館デジタルコレクションが黙って公開してゐる本を提示してやるべきだ。*2
すると「サベツはいけない」等と、あなたに言ふ者を決して信じてはいけないことが分かる。彼はあなたの身の安全なぞ、なにも案じてはをらないのでした。さだめし彼は人前で「いいひと」になりたいだけなのだらう。
またさうでない者、別の意図があって「差別反対」「権利拡大」を訴へる者もある。彼は上述の、小欄のやうな言論に接して「陰謀論」と罵り、憤怒する者たちだ。かつて猶太人を曰く「陰謀家」であると盛んに吹聴したニーチェといふひとが、これに応へて曰く、
イスラエル自らが全世界の面前で自己の復讐の眞の手先をまるで不倶戴天の仇敵かなんぞのやうに拒斥して十字架につけなければならなかつたために、「全世界」すなはちイスラエルのすべての敵は、一も二もなくこの餌に食ひつくことができたのであるが、この一幕こそは眞に偉大な復讐の術策であり、目先の利いた、人目につかない、徐ろに予定の計畫に従つて魔手を伸ばして行く復讐の妖魔術だつたのではないか。ニーチェ著|木場深定 訳『道德の系譜』「善と惡」・「よいとわるい」八|岩波文庫
同胞にあらざると雖も、およそ日本人と、たとへばニュージーランド人とが互ひに敵意を抱く成行はないのでした。それは互ひに己を投影するからであった。かゝる「復讐」とは、その信仰に基づいた、曰く「悪魔」すなはち彼の異教徒に対する決起をいふのであった。要するに、なぜ彼が憤怒するかといへば、それは彼が私たちに彼自身を投影するからであった。
換言すれば自己防衛のつもりらしい。彼は「差別はやめろ!」と言ふけれど、実はサベツといふ国語はないのでした。
くだんのサベツはふつう「差別」と漢字で書きますが、こゝまで小欄は片仮名で書きました。なぜなら「差別」の字はいったい、ケヂメないしワキタメといふ国語に先人があてた字であり、国語が読めなくなった私たちが、これを暫くサベツと音読みしてゐるのでした。同様に「土人」を私たちはドジンと読みますが、これは本来クニビトと読む。クニビトとは、今の言葉でいふ「地元の人」「その地方の住人」のことでございます。
この現象界に、名のないものは存在しない。つまりドジンなる人種が実は存在しないやうに、彼はサベツといふ存在しないことに対し「やめろ」と抗議してゐる。いかにして? 己自身の hate 、すなはち瞋恚を、曰く「差別」だと解釈して。すると彼が己自身に憤怒してゐることが分かる。すなはち彼は瞋恚を生き甲斐とする自分が嫌で嫌でたまらなかった。
だったら早く瞋恚を捨てればよいではないか。
そして麻につるゝ蓬、わが祖父母たちから「朝鮮同胞」と呼ばれてゐたころのやうに生きればよいではないか。同胞意識が稀薄なわが同胞もまた然り。
それが彼らの正体であった。さういへば、ヘイトも瞋恚も、わが国にはなかった外来の言葉だった。
R8.4.1 ミソラ通信
*1 資料:こども家庭庁
*2
さだめし彼は "In chaos, people need a new rule." といふテーゼの下、己がその「新しいルール」にならむとして、積極的に世界にカオスを醸成するのでした。
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